界面駭客日記(1) 増井俊之


はじめまして、界面駭客の増井です♪。 といきなり意味不明語で始めてみましたが、 駭客というのは台湾語で「ハッカー」のことで、 この連載では 人間と機械の界面(インタフェース)にまつわる 様々な話題を提供していきたいと思っています。 先日イギリスで開催された 「Handheld and Ubiquitous Computing」(HUC2K) コンファレンスに参加してきましたので、 今回はこの方面の研究動向について紹介したいと思います。

ユビキタスコンピューティング研究事情

1991年ごろ、Xerox PARCの故Mark Weiserにより 「ユビキタスコンピューティング」が提唱されてから 早くも10年近く経ってしまいました。 ユビキタスな計算機環境とは、 あらゆる人が携帯計算機を持ち歩き、 環境に設置された無数の計算機と通信することによって 無限の可能性が広がるという考え方で、 今では割と当たり前の考え方のようにも思えますが、 当時は未来ビジョンとして大きな注目を集めたものです。 どこにでも 小さなコンピュータが無数に偏在するという状態には まだ到達していないようですが、 この10年の間にインターネットは爆発的に普及し、 携帯電話やPDAのような個人ベースの計算機の普及も 10年前とは比べものにならないほど充実しています。 また最近は、 紙や机や壁のような、 計算機を感じさせない日用品を使って 計算機と対話するという 「実世界インタフェース」がたいへん注目されており、 真のユビキタスコンピューティング環境が近づきつつ あるようです。

ヨーロッパのユビキタス事情

現時点では 有力な計算機メーカが北米に集中しているせいか、 プラクティカルな研究者は北米に多く、 また 国際学会も北米で開催されることがほとんどなので、 北米の情報ばかり伝わってくることが多いようですが、 実際はイギリス/ドイツ/スウェーデンなど ヨーロッパでもいろいろユビキタスコンピューティング関連の 面白い研究が行なわれています。 HUCコンファレンスは イギリスとドイツの研究者が中心となって1999年から 開催されているコンファレンスで、 ヨーロッパからの参加者も多く、 北米のコンファレンスでは聞けない話を いろいろ聞くことができます。 たとえば、 ヨーロッパの携帯電話でサービスが行なわれているWAP (Wireless Application Protocol)の実際について 教えてもらえました。 (もちろん事情は逆も同じで、 ヨーロッパの人達は日本の計算機事情など全然知りませんから、 コンファレンス会場で iModeの着メロ技などを披露したらかなりウケることができました。)

ケンブリッジ近辺

ユビキタスコンピューティングの初期の研究として、 「Active Badge」システムというものが有名です。

Active Badge: 下段は古いバージョン

Active Badgeは、 マイクロプロセッサと赤外線入出力装置をもつ5cm四方ぐらいの名札で、 各部屋に備えつけられた赤外線装置と通信することにより バッジをつけた人がどこにいるかが常にわかるように なっているというものです。

Active Badgeより少し遅れて、 Xerox PARCとRanc Xeroxでは Forget-Me-Notというシステムが研究されていました。


ParcTabでForget-Me-Notを動かしているところ

上の図はXeroxParcで開発されたParcTabという端末の上で Forget-Me-Notを動かしているところです。 Active Badgeは赤外線以外の入出力を持っていませんが、 ParcTabはそれに加えて液晶表示装置とボタンを持っており、 Forget-Me-Notによって 自分がいつ誰とどこで会ったかなどを記録することができる ようになっています。

Active Badgeは ケンブリッジ大学のすぐ隣にあるオリベッティの研究所で 1989年ごろ開発されましたが、 オリベッティ研究所は1999年にまるごとAT&Tに売却されて 現在はAT&Tケンブリッジ研究所になっています。 研究所がまるごと別の会社に売られるというのは 日本ではあまり聞いたことがありませんが、 もともとケンブリッジ大学と関係が深かったので このようなことが可能だったようです。

さて、このような伝統のあるAT&T研究所ですが、 現在はSentient Computingというプロジェクトが進められています。 「Sentient」とは「知覚力のある」という意味で、 Webページによれば「Sentient Computing」とは 「いろいろなセンサや資源情報を使うことにより、 複数のユーザやアプリケーションで共有される世界のモデルを維持する」 ということだそうです。 あまりよくわからない説明ですが、 Active Badgeを進化させた実世界CSCW (Computer-Supported Cooperative Work)をサポートする環境ということのようです。

Sentient Computnig環境のユーザは、 マウスのかわりに「Bat」という装置を使って 計算機を操作します。


Bat

Batは433MHzの双方向ワイヤレス通信装置・ 超音波発生装置・2個のボタンを持っています。 また部屋の天井には格子状に配置された沢山の超音波センサが 取りつけられており、 Batの3次元位置を非常に正確に計測できるようになっています。 マウスのような通常のデバイスは2次元座標しか扱うことが できませんし、 各計算機の附属物として動作しますが、 各BatはIDを持っており3次元位置を正確に計測できるので いろいろな面白い使い方ができます。

壁面ディスプレイで計算機を操作する
プロジェクタで投影した計算機画面をタブレットで操作する システムや製品はよくありますが、 Batの場合は入力タブレットが必要ありません。 壁の前にBatを持っていくだけで壁の計算機画面をマウスのように 制御することができます。
手近の画面で自分の計算機を操作する
Batを持って移動すると、 自分の計算機の画面が近くの端末上に表示され、 手近な計算機をあたかも自分のもののように操作することが できます。 Batの位置検出により ユーザがどの計算機端末の近くにいるのかがわかりますから、 その端末にユーザの計算機画面を転送することにより、 どの端末でも自分の計算機のように使うことができるわけです。 計算機画面の転送には やはりAT&T研究所で開発された VNC (Virtual Network Computing)が使われています。

VNCでWindows画面をX Windowsに表示しているところ

近くの電話機に電話を転送する
Batを持ったユーザはいつもどこにいるかわかりますから、 その近くの電話機に電話を転送することができます。
場所/時間のログをとる
Batを持ってデジタルカメラで写真を撮ると、 いつ/誰が/どこで/どの写真を/撮ったかが記録されます。

AT&T研究所では現在もアクティブバッジが使われており、 来客に渡されていました。 研究成果を実際に使うのは大事なことだと思います。 Batの超音波センサはすべての部屋の天井に取り付けられているので、 プライバシーゼロのビッグブラザー環境かと思いましたが、 流石にトイレの天井には何もついていませんでした。


Hewlett-Packard研究所

今回のHUCコンファレンスはブリストルの Hewlett-Packardの研究所で開催されましたが、 Hewlett-Packardでは最近 「CoolTown」というシステムを開発して 宣伝しています。

CoolTownは実世界のあらゆるものを Webと結びつけようとする試みで、

という来たるべき世界に向けての包括的なアプローチです。

E-SquirterでURLを送出しているイメージ

実際に物理世界とネット上の世界を結びつけるには、 赤外線でIDを送ったり (CoolTownではE-Squirtと呼んでいます)、 各種のID認識装置を使ったりします。 実世界とWebを結びつけようとする 個々の試みは最近非常に多いのですが、 大きなプロジェクトとして本気で取り組んでいるところが注目されます。


計算機の情報はどうしても北米発のものが多いですが、 PDAのような携帯機器が北米で流行し始めたのはごく最近のことですし、 北米では満員電車で通勤している人などほとんどいないでしょうから、 携帯機器やユビキタスコンピューティングの使い方に関しては 北米はあまり参考にならない気がします。 一方、 何時間もかけて電車通勤している人がいるのは 日本人だけかと思っていましたが、 ヨーロッパの場合は電車通勤している人も多いようで、 先日会ったスウェーデン人は 1時間以上かけて通勤していると言っていました。 携帯電話は北欧の会社が頑張っていますし、 ヨーロッパの方が北米よりも 日本と環境が似ているのかもしれません。 ヨーロッパのユビキタスコンピューティング事情に 注目する必要がありそうです。

GUIやユビキタスコンピューティングで名高い Xerox PARCも最近は経営が厳しくて先行きが危ぶまれているそうですが、 ぜひ立ち直って新たな将来のビジョンを示していってほしいものです。 HUCコンファレンスは「Ubicomp」コンファレンスと名前を変えて、 来年秋ごろアトランタのジョージア工科大学で開催される予定です。


HUC2Kコンファレンス
http://www.huc2k.org/
AT&Tケンブリッジ研究所
http://www.uk.research.att.com/
Active Badge
http://www.uk.research.att.com/ab.html
Sentient Computing
http://www.uk.research.att.com/spirit/
VNC
http://www.uk.research.att.com/vnc/
Xerox Research Center Europe
http://kb.rxrc.xerox.com/
Forget-Me-Not
http://kb.rxrc.xerox.com/research/mds/forget-me-not.html
Hewlet-Packard研究所
http://www-uk.hpl.hp.com/
CoolTown
http://www.cooltown.hp.com/
Ubicomp2001
http://www.ubicomp.org/

Toshiyuki Masui
Last modified: Wed Nov 1 18:12:09 JST 2000