大富豪家2.0の日記全体に公開

2004年10月08日
08:51
 京都は
半分くらい壬生になったらしい。
 

コメント    

2004年10月08日
09:16
え、わかんないですー。どういう意味か教えてください♪
2004年10月08日
09:22
大富豪家2.0
うー、文字が見えないですね...
どの看板を見ても「誠」とか「壬生」とか書いてあるのですよ!
2004年10月08日
09:29
tarumi
HIS会場は本当に壬生の近くですからね。
ちなみに私の父親の実家は壬生川通にありました。HIS会場から歩いて10分。旧丹波口駅(現在の位置より南で七条通りとの中間あたり)にSLを見に行ったりとかした思い出があります。
2004年10月08日
09:37
大富豪家2.0
なんで丹波口っていうんでしょう。本当の「壬生」はどのあたりなんですか?
2004年10月08日
09:43
みなっち
丹波に続く道の起点だったんじゃないでしょうか。
他にも鞍馬口とかあります。
2004年10月08日
09:45
大富豪家2.0
鞍馬は小さな場所ですが、丹波はすごく広い気がするのですが...
2004年10月08日
11:26
tarumi
街道か鉄道の起点という意味でしょうね。駅名以外には聞かない名前なので山陰線を敷くときに駅名として作った名前なのかもしれません。だれか詳しい人いないかな。

大宮通りからバス停一個分西にある通りが壬生川通り(壬生通りとも言う)です。単に壬生と言うと四条大宮のやや西あたり一帯の地名ですね。市バスの壬生車庫、壬生寺などがあります。
2004年10月08日
16:27
Mike
丹波口は、山陰道の京の起点。ちょっと長いですが、

http://www.geocities.jp/sanindo_walking/honpen/honpen.html

から一部引用。

昔、このあたりに山陰道へ向かう「丹波口」があったという。丹波口とは、平安京における各地方への出入口「京の七口」のひとつで、のちに豊臣秀吉が防衛のため、京都の周囲に御土居(おどい)と呼ばれる土塁を築いて洛中と洛外に分けてから、都の関門「京の七口」としてそれぞれが、より明確になったという。
  この御土居は、私の住んでいる近くに今もいくつか残っており、以前は子供たちの格好の遊び場であった。それがいつの間にか囲いで被われて、史跡として保護されるようになってから、御土居がたいそう貴重なものであったことを知ったものである。
   徳川の時代になって以後、時代と共に御土居が崩されていってからも、丹波口などは地名として現在まで残っている。今では「丹波口」と言うと、600m程北に位置するJR丹波口駅付近を指すことが多いが、私の立っているこの地点から丹波口駅までのエリアに、あの島原遊郭があった。今年はNHK大河ドラマ「新選組!」の影響で、新選組ゆかりのこの島原近辺を訪れる人々も多い。
2004年10月08日
16:50
大富豪家2.0
なんと丹波口って島原遊郭なんですね!
2004年10月08日
16:56
tarumi
すみません、準ジモティーでありながらMikeさん情報は知りませんでした。

ちなみに、幼児や小学生のころには、祖父宅を訪れたときに島原でもときどき遊んでたりしました(幼児なので駆け回っていたという意味です)。昭和40年代の島原商店街は今よりもっと場末感がありましたね。場末チックな映画館もありましたし。遊廓の本場は旧丹波口駅の北側あたりで、「角屋」というのが文化財として残ってるみたいです。
2004年10月08日
21:45
nomad
どこに狼がいるんだろう。よく見えません。