大富豪家2.0の日記全体に公開

2005年12月20日
12:08
 杉本博司氏
の作品をめぐって議論が炸裂している。
http://d.hatena.ne.jp/kazetabi/20051216
http://d.hatena.ne.jp/kazetabi/20051219

先日行った直島のベネッセハウスにも世界の海の写真が展示してあったが確かに「?」な作品である。どこに感動すればよいのか教えて下さい?
 

コメント    

2005年12月20日
12:44
i16(愛一郎)@一陽來復
高い値段で売れてるってんなら高い値段で売れてるってことに感動すればいいのでは?
美的感動がないんならつまり美的感動はないわけだから。
2005年12月20日
15:09
あやの♪
私は逆に「時間の終わり」を見てかなり衝撃を受けました。
http://www.ayanosuke.net/mt/archives/2005/12/post_307.html

アンチ杉本博司な意見、まとまったモノを初めて読みました。面白かったです。kazetabiさんのおっしゃること、分かりますよ。なるほど、と思う。

杉本氏はある意味究極の「ブツ撮り写真家」で、ライティングを完璧に決めて、大判カメラで長時間露光でじっくり撮る、というスタイルなわけですが、
ここで引かれている岩合氏などは逆に、一眼レフを持って山へ登っていって、雨風をしのぎながら「一瞬」を求めて切り取るタイプの写真家ですよね。非常に対照的。

彼の作品についてはいくつか思うところがあります。
まず、大きなサイズ(というか、杉本氏の意図するサイズ)で見なくては意味がないと思います。Webとかで縮小したものを見ても「なんじゃこりゃ」という話で。

次に、全部に感動する人ばかりではないと思うこと。「時間の終わり」にはいろんなシリーズがまとめられていましたが、例えば「ジオラマ」「劇場」「海」「建築」シリーズは私はピンとこなかったです。一番おお、と思ったのは「蝋人形シリーズ」。この辺は人によっていろいろだと思います。

あと、彼の作品は写真として感動があるかと問われると、「感動はない作品」と言えます。なぜなら、写真家は普通、できあがった写真を目的として写真をとるわけですけど、彼は「写真を撮ること」が目的ではないためです。彼の考えること、表現したいことというのがあって、それを形にするために「写真」という手法をとっているだけであって、「いい写真を撮ろう」とは全然考えていないから。
「いい写真を撮る」ことを目的としてシャッターを切っている身としては、非常に衝撃でした。写真って、こういうやりかたもあるのか、と。

というわけで、杉本博司の作品にはかなり感銘を受けた立場から「でも彼の写真は単体で感動するものではない」と強く主張したいと思います。分かりにくくてスイマセン…
2005年12月20日
21:48
peru
むりやり要約すると「スカした観念より人間臭いリアル(生)のほうが俺はいいと思うぞゴルァ」って批判なんでしょうか。
都築響一氏も同じ様なこと書いているのを読んだことがあります。

抽象画なんかでも似た対立をよく聞くんですが、
こういう美意識の違いはお互い分かり合えないんじゃないですかねぇ。

すみません、僕はスカしたヴィジュアルが大好きなダサイ人間なのですので、あの海の写真の部屋には結構感動しました。
写真には写っていないことを想像して一人で喜ぶのです(笑)
冷静にお約束につっこんでいては楽しめない気が。
2005年12月20日
22:21
i16(愛一郎)@一陽來復
写真をダシにした現代美術?
2005年12月21日
15:54
とょだ
赤の他人にこんな長い批判文を書かせてしまうこと自体が凄いと思ってしまいました。
2005年12月23日
00:33
HT
「写真は芸術なのか」というのは結構前からある議論でして、「写真は芸術なんだ」といいはじめたひとが「いややっぱりそうじゃない」とあとで言ったりしてややこしいんです。
2005年12月29日
12:18
hidetox
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=69001976&owner_id=52
批評してみました。