界面駭客日記(4) - ユニバーサルデザイン 増井俊之


ユニバーサルデザイン

「ユニバーサルデザイン」という言葉を御存知でしょうか? 改造や特殊な設計を行なわなくても 誰でも使えるような機器や環境のデザインのことを ユニバーサルデザインといいます。 似たような意味の「バリアフリー」という言葉がありますが、 こちらは 現在使われている機器に「バリア」が有るのが前提となっているように 感じられるのに対し、 ユニバーサルデザインという言葉は、 最初からバリアの存在しない公平な機器を設計するべきであるという、 より新しい考え方を表現しています。

情報機器のバリア

現在の計算機には沢山のバリアがあります。 昔の計算機や電卓はスイッチやキーボードだけで操作するように なっていましたから 指一本でもなんとか使うことができましたが、 近年の計算機ではグラフィカルインタフェースが主流になったため、 マウスのようなポインティングデバイスを 動かしたりクリックしたりする操作ができないと まともに使えないようになってしまいました。 このため、年配の方などの場合、 ダブルクリックができなかったり 細かい画面を制御するための微妙なマウス操作が難しかったりするために GUIを使いこなせないといった問題が発生しています。 また、数字や文字のみを出力する計算機は、 画面表示のかわりに音声で出力を読み上げることによって、 目の見えない人でも比較的簡単に使うことができましたが、 GUIベースのシステムは音声読み上げが難しいため 目の見えない人には非常に使いにくいものとなってしまいました。 このように、 インタフェースを進化させたために かえってバリアが増えてしまうという傾向が多く見られていました。

現在、ほとんどの計算機は 若者やビジネスマンを対象に作られており、 キーボードやマウスを上手に操作できない人のことは あまり重視されていませんし、 目が見えない人や手足が不自由な人のことはさらに 考慮されていないことが多いようです。 一般的な入出力装置を使用できない場合は 特殊な「障害者用機器」を使用する必要がありますが、 このような機器は値段が高かったり入手が難しかったりするため 広く使われているとはいえません。 情報機器が最初から ユニバーサルデザインにもとづいて設計されていれば このような問題は発生しなかったはずです。

ユニバーサルデザインを促進するインタフェース手法

ところが、 近年はこのような状況が大きく改善されつつあるように思われます。 最近の計算機インタフェースの研究では 「モバイルコンピューティング」と 「実世界指向インタフェース」が 大きな流れとなっていますが、 これらの研究分野では ユニバーサルデザインに貢献する技術が数多く提案されているからです。

モバイルコンピューティングとユニバーサルデザイン

モバイルコンピューティングとは何であるかについては いろいろ議論があります[1]。 ノートPCを持ち歩いて使うことを モバイルコンピューティングと呼んでいた時代もありましたが、 現在は、 PDAや携帯電話を持ち歩いていろいろな場所や状況で使うことを モバイルコンピューティングと呼ぶことが多いようです。 モバイルコンピューティングの究極的な形態として、 衣服のように身につけて使う 「ウェアラブルコンピュータ」や 人間の体と計算機を一体化してしまう 「インプランタブルコンピュータ」 なども近年よく話題になっています。

固定された机の上の大きな計算機画面を、 両手で使うキーボードで操作する場合と異なり、 モバイルコンピューティングで使われる機器には 制限がつきものです。 持ち歩いて使うPDAや携帯電話などは どうしても画面が小さくなりますし、 制限のある入力装置しか使うことができません。 歩きながら使ったり満員電車の中で使ったりする場合は、 画面を見ることができないかもしれませんし、 片手しか使うことができないかもしれません。

このように各種の制限のあるモバイルコンピューティング環境は、 目や手足が不自由な人の状況と変わりませんから、 モバイルコンピューティングのために工夫された入出力装置や手法には そのまま ユニバーサルデザインとして通用するものが沢山あります。 小さな画面に効果的に情報を表示するための技術は、 目の悪い人のための表示手法として使うことができますし、 計算機を片手で操作するための技術は 手足の不自由な人が計算機を使うための技術として使うことが できます。 同じ携帯計算機でも、 歩きながら使いたいこともあれば 机の上で使いたいこともあるでしょう。 モバイル環境など いろいろな状況で使えるようにするためには 必然的にユニバーサルデザインが普及すると考えられます。

私は 予測と曖昧検索にもとづいた 「POBox」というテキスト入力手法を提案しています。 当初は、 PalmPilotのような ペン入力の携帯端末で高速に文章を作成できるようにするために 開発したものなのですが、 ペンに限らず どのような入力装置でも効果的に使えることがわかったので、 現在は携帯電話やEmacsでも活用しています。 (この文章はEmacs上のPOBoxで書いていますし、 POBoxを搭載したauのC406Sという携帯電話を使っています。) 実際、この手法を応用して、 アライド・ブレインズ(株)では 肢体障害者用入力システム「Pete」を開発しています。 Peteを使えば、 手足に重度の障害がある人でも Windows上で文章を作成することができます。


Peteの画面

このように、 モバイルコンピューティング用に開発された技術が ユニバーサルデザインの基礎技術となる例は 今後多くなってくると考えられます。

実世界指向インタフェースとユニバーサルデザイン

計算機内部のデータと計算機の外の世界のデータや事物は 感覚的にかなり異なっており、 変換のためには各種の入出力装置が要るのが普通ですが、 これらの間のギャップは工夫次第でかなり小さくすることができます。 例えば、 紙の上に式を書けば自動的にその右に答が印刷されるような計算機や、 英単語を見ただけでその意味を教えてくれるような眼鏡があれば便利でしょう。 このように、計算機内部のデータと現実の事物の間のギャップを最小にして、 計算機を意識することなく透明な存在として活用するための研究が 近年盛んになってきており、このような手法を総称して 「実世界指向インタフェース」と呼んでいます。

このように、 実世界指向インタフェースの研究は、もともとは 計算機画面上での計算環境を普通の紙や机の上でも実現したいといった 要求から始まったという面がありますが、 特殊な装置を使うことなく、 機械や計算機の存在を意識せずに 直感的にこれらを操作するという考え方は多くの場面で有効です。 例えば、 ドアの前に立つという単純な行動により開く自動ドアは大変便利なのと同じように、 名刺を見ると名簿データが開く計算機は大変便利でしょう。

このような、 直感的な操作にもとづく実世界指向インタフェースは 計算機操作の様々なバリアを取り除くのに大変効果的です。 たとえば、 よくできた実世界指向インタフェースにもとづく プレゼンテーションシステムでは、 表示したいスライドを投影面に向けるだけで プロジェクタ画面が投影されるかもしれませんが、 普通のPCとプロジェクタを使う場合は、 PCを立ち上げて/ プレゼンテーションプログラムを立ち上げて/ 表示したいスライドの入っているファイルを開き/ スライドを探して/ PCをプロジェクタに接続して/... のように沢山の操作と労力が必要になってしまいます。 前者の場合は誰でも簡単に使えると思われるのに対し、 現在のPCはバリアに満ちているといえるでしょう。

実世界指向インタフェースが普及すれば 様々なバリアは自然に消滅すると思われます。 たとえば電車に乗るとき、 現在は 自動改札機(=計算機)を納得させるために 券売機で切符を購入するというバリアを越える必要がありますが、 誰がどれだけ電車に乗ったかを自動的に検出する 実世界指向システムを使えば、 このようなバリアは消滅するため自然とユニバーサルデザインが 実現されることになります。

ユニバーサルデザインのガイドライン

障害のために発生する不幸の大部分は 人為的な要因によるものであると思われます。 例えば私は 抵抗のカラーコードが読めなかったり 発光ダイオードの赤と緑が区別できなかったりするので、 人為的な要因によって不幸な状況になることはありますが、 山の紅葉に気付かずに不幸な状況になることはありません。 人為的に引き起こされる不幸は 注意することにより解決可能です。

ユニバーサルデザインという考え方を提唱した ノースカロライナ州立大学のRon Maceらは 以下のように ユニバーサルデザインの7つの原則を示しています。

  1. どのような能力を持つ人に対しても有用であること
  2. 人によって様々な使い方ができること
  3. 経験/知識/言語/集中度によらず簡単に理解できること
  4. 周囲の環境やユーザの感覚能力によらず必要な情報をユーザに伝えられること
  5. 誤った操作をしても安全であること
  6. 余分な力を必要としないこと
  7. ユーザの様々な姿勢や動作に対応できる大きさや場所があること
これらはあらゆる機器に関する原則ですが、 情報機器のインタフェースに対してもそのままあてはまります。 これらを常に頭に置いて、 ユニバーサルなインタフェースのデザインを行なうことが重要でしょう。

インターネット時代の現在、 Webのインタフェースが非常に重要になってきているので、 誰もがWebページの内容を理解することができるようにするための 注意が必要です。 例えば、<img>タグなどで画像が表示されている場合は、 その内容を<alt>タグで表現しておけば、 目の見えない人でも読み上げシステムを使って内容を知ることが できます。 たとえばW3CのWeb Accessibility Initiative (WAI)では Webページを誰もが読めるようにするための ガイドラインが提案されていますし、 Center for Applied Special Technology (Cast)の配布している Bobbyというツールを使えば Webページのアクセシビリティを検証することができます。


障害をもつ人のために 特別な機器やインタフェースを設計製造するのは 面倒ですし儲からないと考えられがちですが、 ユニバーサルデザインにもとづいた設計により 儲かる製品を作れる場合があります。 例えば、 電動アシスト自転車は 長崎や長野のような坂の多い町では沢山売れているそうです。 そもそも計算機は人間の能力を拡大するために使われるべきものです。 高齢者でも/子供でも/機械操作が苦手な人でも/障害があっても、 誰もが自分の能力を計算機によって拡大できるように なっていって欲しいものだと思います。

参考文献/URL

[1] 塚本昌彦. モバイルコンピューティング. December 2000, 岩波書店
[2] Pete
http://www.a-brain.com/project/PeteHP/
[3] Center for Universal Design (NC State University)
http://www.design.ncsu.edu/cud/
[4] Web Accessibility Initiative
http://www.w3.org/WAI/
[5] Center for Applied Special Technologyの 「Bobby」(Webページのバリアフリー度計算)
http://www.cast.org/bobby/
[6] UDIT (情報のユニバーサルデザイン)
http://www.udit-jp.com/
[7] バリアフリーからUDへ
http://www.sfc.keio.ac.jp/~s99433as/ud/
[8] Universal Design誌
http://www.universal-design.co.jp/ud/
[9] こころWeb
http://www.kokoroweb.org/
[10] バリアフリーの扉 (IBM)
http://www.ibm.co.jp/accessibility/
Toshiyuki Masui
Last modified: Tue Jan 23 11:27:24 JST 2001