界面駭客日記(7) - CHI2001 増井俊之


3/31から4/5にかけて開催された、 コンピュータヒューマンインタフェースに関する世界最大の国際会議 「ACM CHI2001」に参加してきました。 ACM(Association for Computing Machinery)は 計算機に関する世界最大の学会で、 その主催するCHI(Computer-Human Interaction) コンファレンスは1980年代前半から毎年開催されており、 今年は今まで最高の3000人以上もの参加者がありました。 CHI2001の総合テーマは「Anyone, Anywhere」で、 誰でも計算機を使えるようにするという ユニバーサルデザインの考え方や、 どこでも計算機を使えるようにするという モバイルコンピューティングに 重点が置かれていました。

今年のCHI2001はシアトルで開催されたこともあり、 マイクロソフトのBill Gates氏がキーノートスピーカとして登場しました。 マイクロソフトは数年前までは学会などにほとんど顔を出すことがありませんでしたが、 最近はMicrosoft Researchという研究所を作って優秀な研究者を沢山集めていますし、 学会発表やスポンサー活動も多くなってきています。 Gates氏もこれからはたびたび学会で講演を行なうつもりなのかもしれません。 今回の講演は、ごく一般的な聴衆を想定したのか、 目新しい発表などはありませんでしたが、 ClearType技術を利用した読書端末「Microsoft Reader」、 ペン型計算機の「TabletPC」、 Notification Platformというアーキテクチャにもとづいて 予定などの重要度を自動的に計算してくれるエージェントシステム「Priority」 などのシステムの紹介を行なっていました。


Microsoft Readerを紹介するBill Hill氏とGates氏

ユーザインタフェースの学会での講演ということを意識してか、 新しい製品や技術の紹介を行なうだけでなく、 マイクロソフトはユーザビリティやアクセシビリティに関しても 真面目に考えているということをGates氏は強調していました。 現在は150人ほどがユーザビリティ関連の仕事にたずさわっているということです。


マイクロソフトのユーザビリティラボ。 鏡の向こうからユーザの計算機操作をモニタできる。

マイクロソフトの製品は実は従来から ユニバーサルデザインに関してかなり注意が払われています。 たとえば、Windowsのコントロールパネルには 「ユーザー補助」という機能が用意されており、 キーボードだけでマウスポインタを操作したり 見易い表示を行なったりできるようになっています。 Microsoftのこのような活動には Greg Vanderheiden氏の功績が大きく、 氏はMicrosoftのユーザビリティの父と呼ばれているそうです。 Vanderheiden氏はCHI2001のクロージングトークを行ない、 ユニバーサルデザインの重用性を訴えていました。 氏によれば 「障害者にとって有用だがモバイルコンピューティングには 役にたたない技術」というものは存在しないそうです。 タイプライタもカーボン紙ももともとは障害者のために 開発されたものだということでした。


Gregg Vanderheiden氏

ちなみに、 「打倒Bill Gates!」をモットーとしている私は 激しく挑戦的な視線を送りながらGates氏の講演を聞いていましたが、 Gates氏が私の挑戦に気付いたかどうかはさだかでありません。


私はモバイル環境でのテキスト入力に関するワークショップに出席し、 テキスト入力システムPOBoxの発表を行ないました。 4月号で紹介したWordWiseという入力手法を開発したEatoni社や、 T9を開発したTegic社のエンジニアも参加して活発な 議論が行なわれていました。 Eatoni社の社長は、 レセプション会場などでも機会があればWordWiseのデモをするなど 宣伝に余念がありませんでした。 モバイル環境でのテキスト入力といえば ペンや片手キーボードのことだと私は思い込んでいたのですが、 音声入力に期待している参加者も多いようでした。 Gates氏も基調講演で音声認識の研究が重用だと言っていましたが、 少なくとも日本の通勤電車の中ではあまり使われることは なさそうだと思っています。

携帯電話のキーを使った「HandyScript」という文字入力手法を シアトルで開発している Ventris社という会社の人の話も聞かせてもらいました。 HandyScriptは、1月号で紹介したOctaveと同じように 文字ストロークの基本形をもとにして文字を入力していく方式です。 たとえば「/」「\」に対応するキーを順番に押すと「A」が入力され、 「\」「/」に対応するキーを順番に押すと「V」が入力されるという具合です。 漢字を含むあらゆる文字に対応できるという主張ですが、 字形を正しく覚えていることが前提になりますし、 「聞」「問」「間」などをどうやって区別するのか難しそうに思えました。 いずれにせよ、テキスト入力はこれからますますホットな研究対象と なっているようです。


ここ数年、CHIをはじめとするインタフェースの学会では 「実世界インタフェース」 「Tangible」などと呼ばれるインタフェースの研究が流行しています。 キーボードやマウスのような限られた入力装置と ディスプレイのみを使う従来型の計算機に対し、 紙や机や本のように 現実世界で一般的に使われている様々なものを インタフェース装置として使おうという考え方です。 MITの石井裕教授が数年前に 「Tangible Bits」という論文をCHIコンファレンスで発表して以来、 このような研究分野は海外では「Tangible Interface」と呼ばれる ことが多いようです。 狭義の「Augmented Reality」と呼ばれることもありますし、 日本では「実世界指向インタフェース」と呼ばれることが 多いようです。

ウェアラブル計算機をはじめ、 今後の計算機では 机の上のキーボードとマウス以外の装置を使うのが普通になりますから、 あらゆるインタフェースはTangibleなものになっていくと思われますが、 そのような傾向をうまくネーミングした点は鋭いものがあります。 先月号で紹介したPICNICのような小型計算機を取り付ければ、 いろいろなものを簡単に入出力機器として使うことができ、 Tangibleなインタフェースを簡単に実験してみることができます。

ウェアラブル計算機の行きつくところは、 体に計算機を埋め込んでしまう 「インプランタブル計算機」ということになるわけですが、 ジョージア大学では 本当にこのような実験を行なっているという発表がありました。 障害のために筋肉を全く動かせなくなった患者の脳の ニューロンに電極を接続し、信号を無線で外部に送ることにより 意志疎通を図ることができるのだそうです。 米国でもこのような実験はまだ限られた機関にしか認められて いないということでしたが、このようなサイバーな入出力装置も今後は 夢の話ではなく実現されていくのかもしれません。


脳内装置のブロック図。脳皮と頭蓋の間に埋め込んである。


CHIではポスタやデモの発表も数多く行なわれます。 TrackPointを発明したTed Selkerは、 眼鏡に発光ダイオードとフォトトランジスタを取り付けるだけで 人間の凝視を検出するというシステムを発表していました。 「発明おじさん」健在なりというところでしょうか。


ポスタ発表風景


Ted Selkerの凝視検出器


ビルゲイツの講演では、 もっぱらコンピュータを便利にするにはどうするかという問題が 話題になっていましたが、 Tangible系のシステムでは、 便利なのか/面白いのか/芸術なのか/ よくわからないものが沢山提案されています。 学会なのか「おもちゃショー」なのかよくわからないという 声も聞かれるようになりました。 技術レベル、 便利さ、 面白さ、 芸術的要素の どの点を評価するべきなのかが難しくなってきているようです。 すべてにおいて優れているものは言うことはありませんが、 技術は大したことがないがアイデアが面白いものや、 アイデアはつまらないが美しく作られているものなどの 評価をどうするかは難しいところです。 現在は計算機科学の学会の一分野として成立しているCHIコンファレンスですが、 将来はもっと広い視野から存在意義を考えていく必用があるのかもしれません。
Toshiyuki Masui
Last modified: Tue Jan 23 11:27:24 JST 2001