界面駭客日記(25) - 学会の有効利用 増井俊之


世間ではIT時代と騒がれているにもかかわらず、 IT関連の学会は会員の減少に悩んでいるところが多いようです。 最近は計算機関連の書籍や雑誌が沢山出版されており、 Web上にも豊富に情報がありますから、 IT関連の学会などは不要だと思う人が最近は増えているのかもしれません。 また、 計算機の研究をしない人には学会など関係ないと思っている人も多いと思いますが、 必ずしもそういうことはありません。 計算機関連の学会の発行する学会誌にはしばしば 新しい技術の詳しい解説が掲載されていますし、 論文誌には高度な最新技術が掲載されています。 学会があまり人気が無いのは、 学会の有用性があまり多くの人に知られていないからではないかと思います。

学会の活動

日本のIT関連学会のひとつである 情報処理学会のホームページ[*1]には 沢山の活動について書かれています。

各種規画の調査や国際交流などのような 地味で重要な活動も行なっていますが、 一般の会員に関係があるのは、 年に2度開催される大規模な研究発表会である全国大会、 分野別に数ヶ月ごとに開催される研究会、 シンポジウム、 論文誌、 学会誌 などでしょう。

学会の発行物

計算機関連の研究開発にかかわる人が 最も目にする機会が多いのは 学会誌や論文誌のような印刷物だと思います。 多くの学会では、 一般会員向けの解説や新しい話題を載せた学会誌(Magazine)と、 学術論文を載せた論文誌(Journal)を発行しています。 学会誌は学会の会員全員に配られ、 論文誌は別料金になっていることが多いようです。 大きな学会では、 分野別論文誌(Transaction)を発行しているところもあります。 情報処理学会では学会誌「情報処理」および 「情報処理学会論文誌」を発行していますし、 計算機関連の 世界最大の学会であるACM (Association for Computing Machinery)[*2] では学会誌「Communications of the ACM」(CACM)および 各種の論文誌、分野別論文誌を発行しています。

学会の発行物と計算機雑誌の比較

現在、かなりの数のコンピュータ関連雑誌が出版されています。 読者の立場で見た場合、 一般の計算機雑誌は、 最新の技術情報や製品情報を知ることができる/ 書店簡単に入手できる/ といった利点がありますし、 著者の立場から見ると、 新しい情報をすぐに世間に広められるというメリットがあります。 一方、 記事内容は 執筆者や編集者の力量に大きく左右されますし、 まだ商品になっていない地味な研究が紹介されることは多くありません。

これに対し、 学会の論文誌はもともと優れた技術情報を流通させるために 発行されているものですから 採録の審査基準が厳しく、何人もの専門家による審査(査読)を パスしたものしか掲載されることがありません。 このため内容には信頼度があり、 論文は大学など多くの研究機関において 最大の業績と考えられています。 一方、審査には時間がかかるのが普通ですし、 採録の際の必要条件が多いため、 面白い技術でも論文として不採録とされてしまうことも しばしばおこります。 たとえば、全体的に新しく面白い技術について述べてあったとしても、 明らかな誤りが含まれていれば論文として採録されることは ありませんし、 査読者の価値基準に合致しない論文も不採録になってしまいます。 Webの基本技術を開発したTim Berners-Leeが 論文を関連学会に投稿したときは あっさり不採録にされてしまったこともあるそうです。

学会の発行する学会誌は 一般雑誌と論文誌の中間にあるといえるでしょう。 論文誌のような査読作業はありませんが、 記事は論文につぐ業績と考えられますし、 執筆から掲載までの期間は数ヶ月ですみます。 具体的な新製品名紹介のような記事は載りませんが、 新しい技術に関して詳しく解説した記事が 数多く掲載されています。

現在使える技術や新製品などの情報については 一般雑誌が最も役にたちますが、 将来実用になってくる面白い技術についての情報を得るためには 一般雑誌よりも学会出版物の方が有用でしょう。 少し先の技術が必要になる場合は多いと思いますので、 学会出版物はもっと活用されてもよい気がします。

学会文献の活用

最近、「電子図書館」(Digital Library)という言葉を 耳にすることが多くなりました。 国会図書館[*3] の蔵書がWebで 検索できるようになるなど、 各地の図書館において電子化が進められていますし、 大学などでは新しいIT技術の活用を最初から考慮した電子図書館を 作る話が盛んになっているようです。

学会誌や論文誌も、 従来は紙の雑誌として出版されていましたが、 最近は電子形式で Web上でも公開されることが多くなってきています。 たとえば情報処理学会では、 過去のあらゆる学会誌/論文誌を電子図書館として公開しています[*4]。 内容は会員にしか公開されていませんが、 非会員でも検索や目次閲覧はできるようになっています。 たとえば特集リスト をみると、 ここ1年ほどの「情報処理」では 表1のような特集記事が掲載されていることがわかります。 最近注目されているいろいろな技術に関する 詳しい解説記事が特集されていることがわかるでしょう。

失われゆく情報の復元・保存技術
さまざまな次世代GPS測位方式
セマンティックWeb
ユビキタスコンピューティング世界を実現する革新的ネットワーク技術
人工現実感手術室
インターネットと自動車
e-Learningの最前線
仮想と現実の融合
知られざる計算機
ナノテクのトレンド
ゲノム情報科学
ネットワークセキュリティ
モバイルインターネット
家庭の情報化
表1: 「情報処理」の最近の特集記事

大昔の特集でも有用なものがあります。 たとえば、1983年4月号(Vol.24 No.04)の 大特集「アルゴリズムの最近の動向」[*5] では表2のようなアルゴリズムの解説が行なわれています。 このほとんどは現在でも通用するものであり、 アルゴリズム辞典として重宝です。

タイトル 著者
計算機内部における数の表現法 浜田 穂積
整数の乗算法 五十嵐 善英
行列積の漸近的計算量 野崎 昭弘
一様乱数の発生法 伏見 正則
確率的アルゴリズム 渡辺 治
順列の生成法 山崎 秀記
ソー卜法 溝口 徹夫
セレクション法 野下 浩平
ハッシュ法 井田 哲雄
2分探索木, B-木, k-d木による見出し探索 星 守、弓場 敏嗣
ゲーム木の探索法 実近 憲昭
動的記憶領域割付け法 佐々 政孝
リストのコピー法 長谷川 洋
シーケンシャル・ガーベジ・コレクション 黒川 利明
並列形ガーベジコレクション 日比野 靖
構文解析 井上 謙藏
ソースプログラムの高速化 石畑 清
再帰呼出しの実現法 疋田 輝雄
再帰呼出しの索表計算法 有澤 誠
多重環境の制御実現法 佐治 信之
非決定的アルゴリズム 中島 秀之
オペレーティング・システムのスケジュール法 亀田 壽夫
仮想記憶のページ管理法 益田 隆司
分散型アルゴリズムの基礎 徳田 雄洋
デッドロックへの対策法 斎藤 信男
分散プロセスの通信方法 徳田 英幸
文字列のパターンマッチ法 花田 孝郎
英文清書法の基本操作とアルゴリズム 古郡 廷治
英文綴り検査法 川合 慧
ファイル間の相違検査法 角田 博保
グラフの平面性判定法 西関 隆夫
線形計画問題の高速解法 茨木 俊秀
定理の自動証明法 永田 守男
隠面除去アルゴリズム 今宮 淳美
公衆暗号系の実現法 西村 和夫
保護システムの安全性判定法 宮地 利雄
VLSI用の行列計算法 都倉 信樹、萩原 兼一
VLSI CADへの計算幾何学の応用 鈴木 則久
VLSI用の正規集合認識法 安浦 寛人
NP完全問題 稲垣 康善
あつかいにくい問題 小林 孝次郎
表2: アルゴリズム特殊の記事一覧

情報処理学会には分野別に沢山の研究会があり、 学会誌や論文誌と同じように、 研究会資料もすべて 電子図書館で公開されています。 従来は、研究会での研究発表につて知るためには 研究会に入会して資料を入手する必要がありましたが、 電子図書館のおかげですべての資料の検索を行なうことが できるようになりました。 内容を閲覧するためには研究会会員になる必要がありますが、 研究会の年会費は3000〜4000円程度ですので、 入会して損はないと思います。

ACMやIEEEのような海外の学会は、 日本の学会よりも前から電子図書館を開設しています。 前述のACMの学会誌CACMは 研究者よりも広い範囲の読者を対象としているようで、 一般の計算機雑誌としても通用するような話題も沢山あります。 たとえば2002年9月号では、 表3のように、 基礎技術から時事問題まで 幅広い話題が掲載されています。

責任ある Web Caching とは?
ITプロフェッショナルのキャリア設計
9/11から一年。我々はどこにいるのか?
検索エンジン特集
企業におけるITサービスのコスト
Hubbubでモバイルインスタントメッセージング
ITプロフェッショナルを永続的に管理する術
Webサイトとデータベースの統合
ソフトウェアの調査点検を改善する方法
知識管理システムの重要な事柄
プログラミングコンテストで学生を理論に惹つけよう
オブジェクト指向で考えよう
表3: CACM 2002年9月号の目次


分野によっては、 参加資格に強い制限を設けている学会もあるようですが、 情報処理関連の学会に関してはそのようなことはないようで、 申し込めば誰でも参加することができます。 日本の学会の年会費は大抵1万円程度で、 海外の学会の会費はそれより若干高いようですが、 学会誌を購読できることに加え、 電子図書館を通してあらゆる文献にアクセスできるようになることを 考えるとお得ではないかと思います。
  1. 情報処理学会: http://www.ipsj.or.jp/
  2. Association for Computing Machinery: http://www.acm.org/
  3. 国会図書館: http://webopac2.ndl.go.jp/
  4. 情報処理学会電子図書館: http://www.ipsj.or.jp/library/
  5. 「アルゴリズムの最近の動向」特集: http://www.ipsj.or.jp/members/Magazine/Jpn/2404/

Toshiyuki Masui