どこでも計算機の機能を利用することができる ユビキタスコンピューティング環境の実現のためには、 小型の計算機・ 小型の入出力装置・ 小型のセンサ・ ワイヤレスネットワーク・ 電源技術・ 誰でも使えるインタフェース技術 など、 多くの革新的技術が必要になりますが、 最近は特に無線LAN技術やRFIDタグ技術などの発展がめざましいため、 ユビキタスコンピューティング環境は急速に現実に近付きつつあります。 このような状況のなかで、 ユビキタスと銘打った会議や展示会も増えていますが、 最近開催された ACM (Association for Computing Machinery) 主催の 「UbiComp2003」コンファレンス[*1]及び、 慶應義塾大学SFCの研究発表会[*2]について紹介したいと思います。
ユビキタスコンピューティングの研究は、新規性も大事ですが、 実現性や実用性も重要です。 高価なセンサを多数使えば、 ユーザや機器の位置を正確に検出することができるので 実世界でのユーザや機器の位置や動きを利用した 様々なインタフェースを実現することができるかもしれませんが、 普通のオフィスや家庭にそのようなものを設置することは 場所的にもコスト的にも実用的とは考えられません。 今回のコンファレンスでは、安価なセンサを使いながらも 実用的に位置情報を取得したり操作履歴を利用したりするシステムが いくつか提案されていました。 例えば、 複数のFM放送局からの電波強度を測定することにより自分の位置を計測する方法や、 博物館内のユーザのおおまかな移動パタンからユーザの性質を推定して 適切なガイドを提示するシステムなどが提案されていました。 極めつけとして、 超音波送信機と受信機をひとつずつ使うだけで位置検出を行なうという手法が提案されていました。 位置を検出するには 複数の発信機やセンサを使うのが普通ですが、 ひとつの超音波から発せられた信号は部屋の璧などに反射することにより、場所によって特定の遅延パタンを 示しますから、あらゆる場所における反響パタンをあらかじめ測定しておくことにより 測定されたパタンから位置を計測することができるというわけです。 もちろんあまり正確に位置を検出することはできませんが、 装置は非常に簡単ですからかなり実現性が高いと思われます。 無線LAN基地局からの電波強度を測定することにより 機器のおおよその位置を推定するシステムが 日立製作所から提案されていますが[*3]、 既存のインフラを利用しつつ ユビキタスコンピューティングに必要な情報を取得する手法は 実現性の点で魅力的です。
実世界指向インタフェースシステムの研究では、 璧や机にプロジェクタ画面を投影することによって 計算機内の情報と実世界の情報を融合するという手法がよく提案されていますが、 プロジェクタを家庭やオフィスのあちこちに配置するのは現実的ではありません。 IBMは、 回転する鏡をプロジェクタの前に置いて制御することにより、 部屋のいろいろな場所に画面を投影することができる Everywhere Displayシステム[*4]を提案していました。 あらゆる場所に画面を美しく投影することは難しいかもしれませんが、 実用性を重視しているといえるでしょう。
Everywhere Display
ユビキタス環境というものは 実際に使ってみないと利点や問題点がわかりにくいと考えられますから、 様々な環境で実際に使ってみる実験を行なうことが重要です。 今回のコンファレンスでは、普通の家庭に沢山のセンサを設置してユーザのパタンを測定したり、 老人やアルツハイマー患者にどのようなサポートが可能かを実験したりといったような、 社会においていかにユビキタス環境を役立てるかという研究発表が多かった点で、 ユビキタス社会が本当に近付いていることを感じることができました。
デモ会場では沢山の「一発ネタ」や、謎のメディアアート作品が展示されていました。 下の写真は「ジャンクメールをSPAMに変換する装置」で、 送られてきた封筒をセットすると その写真が撮影されて電子メールとして送られ、 封筒はシュレッダで裁断されるのだそうです。
ジャンクメールをSPAMに変換する装置
発表会を代表するパネルセッションは以下のようなタイトルになっていました。
OSやネットワークなどの 計算機アーキテクチャの研究を行なっている徳田英幸教授の研究室では ユビキタス環境のためのネットワーク環境やシステム環境の研究成果を展示していましたし、 ユーザインタフェースの研究を行なっている安村通晃教授の研究室では ユビキタスコンピューティング関連の様々なアプリケーションを展示していました。 メディア環境論を専門とする奥出直人教授、 デジタルエンターテインメントコンテンツの稲蔭正彦教授、 計算機音楽の岩竹徹教授などの研究室からも 多数の興味深い研究成果が展示されていましたが、 計算機科学系の研究者が模索してきた様々な ユビキタス環境向けシステムが 幅広い用途に浸透していっているように感じられ、 ユビキタス社会の方向性を感じることができました。
10年以上前に知人の家に遊びにいったとき、 部屋の中に10Base5のEthernetケーブルが這っているのを見て驚いたことがあるのですが、 現在では多くの家庭がブロードバンドでインターネットに接続されており、 Ethernetケーブルなど珍しくもなんともなくなってしまいました。 現在はユビキタスコンピューティングの研究対象として使われているようなシステムも、 5年もせずに一般家庭に入ってくることは間違いないでしょう。 一般家庭ではさまざまな活動が行なわれますし、 セキュリティが非常に大事ですから、 ユビキタスコンピューティングの技術はこれからますます 家庭で使われるようになると思われます。
たとえばトイレだけを考えてみても、 様々なセンサを応用したユビキタスコンピューティングが考えられます。 タンクの水量や水流の状態/ トイレットペーパの残量/ タオルや石鹸の状態/ 室温や湿度/ 電灯の状態/ トイレの明るさ/ 匂いや汚れの状態/ 窓の状態/ ユーザの健康状態/ ユーザの体重/ など、センサはいくらあっても困ることはないでしょう。 また、トイレで 時計/電話/音楽プレーヤ/ビデオなどを使えれば嬉しいでしょうし、 インターネットの新聞を読みたいこともあるでしょう。 トイレだけでもこれだけセンサや計算機があれば嬉しいわけですから、 家じゅうで使うとなるとかなりの数が必要になることになります。 このような環境のための センサ, 計算機, ネットワークのようなハードウェアは 数年以内に実用的になると思いますが、 ユビキタス環境で沢山の計算機やセンサを統合的に利用するための ソフトウェアやインタフェース技術に関しては、 最近あまり目立った進展がないようですし、 統一されるには時間がかかるかもしれません。 しかし、 デスクトップ計算機の入力インタフェースを考えようとする場合は 現在のASCIIキーボード、マウス、ペンなどがあまりに広く普及してしまっているため、 これ以外の新しい装置を提案しても、余程便利でなければ世の中に広まることは ないと思われますが、 ユビキタスコンピューティングを実現するための入出力装置はまだ 標準的なものが存在しませんから、 新しい手法を考案して普及させるチャンスは残っていると思われます。 誰でもどこでもいつでも使えるような、 画期的なインタフェース技術を開発したいと模索しているところです。
現在、SFCの徳田教授を中心にして、 再来年のUbiCompコンファレンスを日本で開催することが計画されています。 そのころまでに、 日本発のすぐれたユビキタス環境のインタフェースを 多数開発したいものだと思っています。