21世紀を迎えようとしている現在は、
人類の歴史の中で計算機密度が最も高い時代だと
思われます。
大抵のオフィスでは机の上でブラウン管モニタが大きな顔をして
居座っていますし、キーボードや計算機本体を含めると
オフィスの有効容積の30%ぐらいが計算機筐体で占められて
いる場合が有りそうです。
パーソナルコンピュータが大きな場所をとるため
困っている家庭も多いでしょう。
本屋では計算機関連本が棚を占拠しています。
こういう状況は明らかに異常事態であって、
西暦2000年あたりは計算機筐時代と
後世になって呼ばれることになるかもしれません。
いろいろな製品の密度が時代とともに変化してきました。
木目調の巨大なステレオ装置を居間にデンと置くのが
富豪のしるしだと思われていた時代もあったようですが、
2001年現在、音響製品密度はとっくにピークを過ぎていますし、
現在ポピュラーな製品の多くは密度が単調減少しているようです。
音響製品密度/冷蔵庫密度/調理器密度はなかなかゼロに近くは
ならないでしょうが、
(冷蔵装置つきビールとか炊飯機能つきの米とかがあれば
便利なんですが...)
ユビキタスコンピューティング/
ウェアラブルコンピュータ/
インビジブルコンピュータ[1]
(カタカナが長い!)などという言葉が最近流行していることからも、
体積をもたない情報を扱う計算機の密度が
限りなくゼロに近づいていくことだけは確かでしょう。
計算機筐体の将来の実際の形を予測するのは危険としても、
計算機の数はものすごく増える/
計算機の存在は人目に触れなくなる/
計算機の存在を人間が意識しなくなる/
ぐらいは断言しても大丈夫でしょう。
印刷が可能(プリンタブル)で捨てても大丈夫(ディスポーザブル)な、
紙きれ程度の扱いにはなると思われます。
計算機はだんだん小さなものに融合してきています。
これを人間方面にさらに進めると
敷地との融合 計算機センター 建物との融合 計算機室 部屋との融合 ミニコン 机との融合 ワークステーション/デスクトップPC
となるでしょうし、 周辺環境方面に進めると
鞄との融合 ノートPC ポケットとの融合 PDA 服との融合 ウェアラブル計算機 人間との融合 インプランタブル計算機? 臓器との融合 生体計算機??
のようになっていくでしょう。
床/壁/天井との融合 ユビキタス計算機 道との融合 電柱計算機?
1918年にシアーズ・ローバックは、 ミシンにも泡立て機にも扇風機にも使える 「家庭用モータ」を発売したそうですが、 これは今のパソコンと同じような発想の商品だったのでしょう。 その後モータは色々な製品に組み込まれて使われるようになり モータ密度も下がってすっかりインビジブルになってなって しまいました。 計算機も同じように、 人間に融合されたインビジブルな計算機と 周辺環境に融合された大量のインビジブルな計算機が 将来の計算機利用の中心になるでしょう。 このような世界を計算機フルな世界と呼ぶことにします。
机/椅子/家具/食器のような基本的な生活用具はそれほど変わらないと予想されますし、 比較的最近出現した道具でも
自動車/洗濯機/冷蔵庫/エアコンのように、なくては生活できず本質的にサイズが大きいものも 恐らくそのまま使い続けられるでしょう。 また、長い歴史があり大変便利な
紙、ペン、めがねのような生活必需品も恐らくそのまま使い続けられることでしょう。
このように、2050年には 外見的には家もオフィスもあまり現在と変わらないと思われますが、 このような一見普通のもののほとんどに 計算機が内蔵されているという点が大きな違いになるでしょう。
コンピュータサイエンティストかもしれませんが、 少なくとも、
目に見える計算機の筐体は消滅するでしょう。 同様に、おもに情報を扱う各種の機器も 目に見えない場所に消えてしまうでしょう。 現在の家やオフィスの多くの部分を
本/CD/テレビ/ステレオ/電話などが占領していますが、 計算機フルな世界では 物体としてのこれらの存在価値が激減し、 部屋からはほとんど消滅してしまうことになるでしょう。 このように情報を扱う物質の体積が激減すると 家やオフィスの雰囲気はかなり変わるでしょう。 家の中には家具/食器/布団/風呂/衣料品などだけしか 見えないことになり、 まるでビジネスホテルか貸し別荘のようになるでしょう。 そのような場所では
書斎や本棚のような、情報を扱うための大きな筐体は 全く不要になり、
雑誌/新聞/手紙などもほとんど消えてしまうでしょう。
計算機や音響機器が小さくなって部屋が片付くというだけでは あまり嬉しくありませんが、 計算機フルな世界では 生活の質は本質的に変わると思われます。 ふだんの生活であまり気にしている人はいないようですが、 人間生活には要らないものが実は沢山あり、 計算機フルな世界により生活が大きく改善されることが色々考えられます。
たとえば、計算機フルな世界において、 どこにでも簡単に個人認証を行なうことができるようになれば、
証明書、切手、切符のたぐいは完全に不要になるはずです。 個人を確実に認証することができれば 保険証、免許証、などは必要ありませんし、 さらに進めば
紙幣やコインもほとんど不要になるはずです。 さらに、
鍵すらほとんど要らなくなってしまうかもしれません。 たとえば、持ち主しか運転できない自動車は鍵をかけなくても 盗まれる心配がありませんし、 住人以外が勝手に入ると悲鳴をあげる家には あまり鍵は必要無いと思われるからです。
どこにでも計算機やセンサがあれば、いろいろな不幸な事故も 無くなってしまいます。 たとえば、あらゆる自動車や人間や物体が 自分の周囲の状況をよく知っていれば
自動車事故はほとんど無くなってしまうでしょうし、 建物が自分の状況をよく知っていれば
火事などもほとんどなくなってしまうでしょう。 ひょっとすると
犯罪そのものがかなり少なくなってしまうかもしれません。
計算機フルな世界では 何がどこにあるか常に簡単に把握できますから、
ものを探す作業がほとんど無くなってしまうと思われます。 今の人間の生活では、 店を探したり/ 商品を探したり/ 人を探したり/ 服を探したり/ 単語を探したり/ ずっと何かを探してばかりですが、 計算機フルな世界では 何かを探そうと思った瞬間に検索が終わっていることになります。 結婚したいと思った瞬間に 相手が決まって式場の予約が済んでいるかもしれません。
迷子などという言葉は死語になってしまうでしょうし、
整理整頓の美徳も無くなってしまうかもしれません。 探偵小説も成り立ちにくくなってしまうでしょう。
あらゆる場所に設置可能な埋め込み型計算機が広く使われることになるでしょう。 耳と口に携帯電話を埋め込んでるような人達も最近多いようですが、 本当に計算機を体に埋め込んで使う人が多くなるでしょう。
身につけて気持ち良い計算機が使われるでしょう。クーラー付きだと嬉しいですね。
いろいろな場所に埋め込まれた計算機は
洗練された状況認識センサを内蔵し、
共通の通信/検索インフラストラクチャにもとづいてあらゆる情報処理や検索を実行します。 必要な情報はいつでもどこでもすぐに計算できますし、 何がどこに有るのかという情報が常に検索可能なので ものを探す作業が世の中から消滅してしまうわけです。
下の写真は大阪千里の国立民族学博物館の「ものの広場」という展示です。
「セネガルのザル」といったような、
計算機などと全く関係なさそうな展示物が置いてあるのですが、
これを「?」と表示された端末まで持って行くと、
どういう由来のザルなのかの説明が表示されるようになっています。
ザルに埋め込まれた
RFIDタグという小さな部品と通信することにより
このような展示を行なっているわけですが、
あらゆる物に組み込まれた計算機が
協調して通信することにより、
どこでも必要な情報を得ることができるようになるでしょう。
認証技術や暗号技術というと、 どうも暗い印象がありますが、 前述のような、証明書や鍵が要らない世界を実現するような
明るい認証技術が普及していることでしょう。
脳直結型の計算機でしょうが、 脳の働きが完全に解明されない限りこれは無理かもしれません。 ちょっと妥協して神経直結型ぐらいなら なんとかなるかもしれません。 計算機と人間の間の通信に 人間の感覚器官を利用する限り、 インタフェース装置の工夫は続きそうです。
計算機に頼って暮らすのは悪いことではありません。 歩くのに靴に頼ったり 近眼の人が眼鏡に頼ったり するのと同じように、 人間の生活を向上させるような ユニバーサルな計算機応用が進むことを望みたいと思います。