増井俊之の「界面潮流」

「界面」=「インタフェース」。ユーザインタフェース研究の第一人者が、ユビキタス社会やインターフェース技術の動向を読み解く。

第41回 変化の認知

2010年3月 8日

(これまでの増井俊之の「界面潮流」はこちら

人間は時間的な変化の認知が得意ではありません。変化の可能性に気付かず、一時的な状態のことを定常状態だと勘違いしてしまうことがよくあります。何かが一度うまくいったとき、それが普通だと勘違いしてしまうと「待ちぼうけ」のような失敗をしてしまいます。

私は昔たまたま通った交差点で財布を拾って届けたことがあるのですが、偶然のできごとに決まっているにもかかわらず、その交差点を通るたびに財布が落ちてる気がして地面を確認するようになってしまいました。

第一印象が大事だと言われるのは、人間は変化するものだということに気付かないため、最初の印象の状態がずっと持続すると勘違いしてしまうからかもしれません。

旅先の天気が悪かったときは「たまたま天気が悪かった」と考えるべきかもしれませんが、レストランの食事が気にいらなかったときは「今回はたまたま不味かったが普段は違うかも」とは考えないでしょうし、不味いのが定常状態だろうという推論は大抵正しいと思われます。現在の状態が定常的だという推論は妥当であることが多いため、変化に気付きにくいように人間は進化してきたのかもしれません。

変化があることを理解している場合でも変化に気付きにくいことがあります。間隔をはさんで似た画像を交互に表示して違いを発見させたり、一部分の色がゆっくり変化する画像を見せて変化部分を発見させたりする、いわゆる「アハ体験」ゲームが最近よく紹介されています。これは「Change Blindness」と呼ばれる現象で、条件によって人間は大きな変化も見逃してしまうものだということがよくわかります。

下の図はChange Blindnessを体験する簡単な例になっています。矩形群のうちひとつだけは徐々に色が変化し、最後に黒枠が表示されるようになっています。色の変化が遅い場合、変化があることを知っていてもなかなか気付かないことがわかるでしょう。(色変化が終了した矩形には黒枠が表示されます。黒枠が表示されている場合はリロードしてみて下さい。)

見ているものの一部がゆっくり変化してもわからないということが交通事故の原因になることもあります。ふたつの車や船などが下図のようにちょうどぶつかる速度で等速移動しているとき、一方から他方は常に同じ角度で見えることになるため、夜間や洋上などで比較対象物が少ない場合、相手が動いていることに気付かずに衝突してしまうことがあります。このような軌跡を「コリジョンコース」といい、これに起因すると思われる事故が数多く報告されています。

コリジョンコース

洋上のコリジョンコースでは相手の船は下図のように見えるはずです。船が移動していくとき、遠くの山も相手のヨットも常に同じ方向に見えているわけですから、大きさが少しずつ変化するだけでは相手が動いていることに気付きにくいでしょう。

動きをはっきり認識している場合でも、将来の変化について的確に把握することは難しいものです。実際、誰もが動きを正確に予測できるのであればシューティングゲームはほとんど成立しないでしょう。

mixiに「自分の並んだレジの進みが遅い」というコミュがあったり速いレジを捜す心理術の本があったりするぐらいで、レジが進む速度を見誤ってイライラするのは人間の常のようです。レジ行列の動きは遅いので流れの速度を視認しにくいことが原因のひとつですが、処理の速さ(スループット)の見積りが難しいことも大きな理由でしょう。

目に見えるものの速度を比較することが簡単な場合でも、処理速度や輸送効率に関しては計算が必要で、直感は通用しません。4人乗りのリフトは1人乗りリフトの1/4の速度でも輸送効率が同じですが、4倍速の1人乗りリフトは低速の4人乗りリフトより速そうに見えるでしょう。間隔を空けてエスカレータに乗ったり、歩きたがる人に遠慮して片側を空けたりすると、輸送効率が悪くなって渋滞の原因になってしまうのですが、エスカレータの動く速さは一定であるせいか、こういった行為に起因する効率の悪化に気付かない人も多いようです。

変化の注意と活用

パソコンが突然壊れて往生するのは、ちゃんと動いているのが定常状態だと勘違いしてしまい、不測の事態への備えが不充分になってしまっているからです。タレブの「ブラックスワン」では、これが「感謝祭前の七面鳥」に例えられています。感謝祭の直前になると、平和に暮らしていた多くの七面鳥を寝耳に水の不幸が襲うことになりますが、定常状態に慣れた人間も同じようなものだというわけです。

変化に気付かない本能を直すのは無理ですが、その欠点に普段から注意しておくことは可能です。ゆっくりした変化に気付かないと致命的になりうることは「ゆでがえる」や「茶色の朝」などの寓話でおなじみです。このような不幸や突発的な事故への対応については常に考えておかなければなりません。

逆に、何かを大きく変えたいときは、あせらずゆっくり変化させていくことが有効そうです。昔はアグレッシブで有名だった会社が、徐々に社風を変えていくことにより「大人の会社」と考えられるようになった例がいくつもあります。何かの舵を大きく変えたい場合、進路変更が目立たない形にしたり、迷彩をちりばめたりすることによって、気付かれずに大きな変化を起こす「コリジョンコース作戦」も考えられます。

駄目なシステムを改良したい場合、すべてをゼロから書き換えたくなるものですが、そうするとかえって状況が悪くなることが多いというのが定説です。地味な改善をゆっくり積み重ねるようにすれば、クレームが出ることなく改善が進み、大きな成功につながる可能性が高いでしょう。人間の能力不足を欠点としてとらえるのではなく、逆に活用することによって満足度を上げる方法を捜すとよさそうです。

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プロフィール

1959年生まれ。ユーザインタフェース研究。POBox、QuickML、本棚.orgなどのシステムを開発。ソニーコンピュータサイエンス研究所、産業技術総合研究所、Apple Inc.など勤務を経て現在慶應義塾大学教授。著書に『インターフェイスの街角』などがある。

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