(これまでの増井俊之の「界面潮流」はこちら)
歳をとるにつれて時間が経つのが速くなったと感じている人は多いようです。私の場合もその傾向が顕著で、春になったからストーブを片付けようと思っているうちに秋が近づいてきてしまいました。
このように感じる人が多いのは古今東西で共通らしく、「時間が経つ速度って年齢に比例するんじゃね?」という仮説がジャネの法則として19世紀から知られていました。この理屈だと、生まれたての赤ちゃんは永遠に時間が進まないことになってしまうので、大谷・中村理論のような修正版もいろいろ考案されています。
体感速度が年齢に完全に比例することは無いでしょうが、年齢と強い相関があることは確かなようです。「なぜ年をとると時間の経つのが速くなるのか」、「大人の時間はなぜ短いのか」、「一年は、なぜ年々速くなるのか」など、この感覚の原因を説明する本も沢山出版されています。
本によって説明は異なっていますが、
- 老化による体の変化により時間感覚が変わるため
- 新しい刺激が少なくなるため
という点の指摘は共通しています。
「繰り返しの効用」という記事で人生の長さと情報圧縮の関係について書きましたが、同じ内容が繰り返されるデータが圧縮可能なのと同じように、人生で同じことを繰り返していると時間が圧縮されたように感じられるものです。行ったことがない場所を訪れるとき、行きよりも帰りの方が時間が短く感じられるのも同じ理屈なのでしょう。
注目度と体感時間
他人の子供はすぐに成長するものです。親戚や友人に久しぶりに会ったりすると、小さかった子供が知らないうちに巨大化していて驚かされることがあります。子供の成長は速いのは確かですが、注意して見ていないものは高速に変化していくように感じられるのも事実です。料理を煮込みながら他の作業をしていると、料理に対する集中力が失われてしまうため、気がついたら鍋が丸コゲという失敗をした人もあるでしょう。
この現象は簡単に実験してみることができます。気合いを入れてパソコンを利用しているとき、デジタルフォトフレームやブラウザを使ってスライドショーを脇に表示しておくと、スライドショー単体を凝視している場合と比べてはるかに高速に画面が切り換わっていくように感じられます。iTunesなどでCDをリッピングするには結構時間がかかるものですが、別の仕事をしながらだとあっという間に終了してしまいます。時間の経つ速度は注目度に反比例するのかもしれません。
体感時間のコントロール
人間は絶対的な時間経過を認識する感覚器官を持っていないため、様々な原因によって体感時間が変化してしまうようです。感覚がいい加減であるということは困ったことかもしれませんが、このいい加減さを有効に利用する方法も存在します。
遅さをごまかす
プログラムやサービスの起動が遅いとイライラするものです。エレベータの動きが悪いビルでは、鏡を置くことによりエレベータ待ちのイライラが解消されたという話があります。悶々とエレベータを待つと待ち時間が長く感じられてしまいますが、別のことをやりながら待てば、待ち時間は圧倒的に短くなったように感じられるものです。
起動が遅いプログラムに対しても同じような手法を使うことができます。「起動中...」とだけ書いた画面を表示した場合は起動の遅さが我慢できなくなってしまうものですが、起動の様子を表示する画面を用意したり、直接関係無い動画を表示したりすれば、起動の遅さ以外の方向にユーザの注意が向くため、遅さに我慢できるようになるものです。
嫌な仕事を片付ける
嫌な仕事や面倒な仕事は速く片付けたいものです。同じことの繰り返しは短く感じられるわけですから、嫌な仕事をなるべくルーチンワーク化してしまうことができれば、何も考えずにてきぱきと嫌な仕事を片付けてしまうことができるようになるでしょう。
私は事務作業や片付けが苦手でいつも困っているのですが、こういった作業は定型的なものが多く、ルーチンワーク化することが可能ですから、何も考えずに仕事を完了するためのフローチャートを脳の中に構築してしまえば、嫌なことをやるための体感時間を短くすることができると思われます。
人生を長く楽しむ
同じことを繰り返していると時間が経つのが速く感じられ、あっという間に人生が終わってしまうかもしれません。人生を長く感じるためには、新しい体験をする機会を常に求める努力をする必要があるでしょう。「頻繁に転職する」「常に新しい恋をする」といった乱暴な方法は確かに有効そうですが、「頻繁に引っ越しする」「毎年新しい趣味を始める」といった無難な方法でも充分効果はありそうです。
このように考えてみると、人間の時間感覚がいい加減であることは実は利点が多いように思われます。様々なテクニックを使って自由に時間を伸縮して、人生を豊かに過ごすようにしたいものです。