(オリジナル文書: gopher://nxws.op.nacsis.ac.jp:70/00/bulletin/no.7/articles/ article06%20%28H.%20Yamada%29%20%5BJapanese%5D/euc) 常用者のための日本文入力法の基礎的研究について On the Basic Research of Japanese Input Methods for Extensive Users 山田 尚勇 Hisao YAMADA 学術情報センター National Center for Science Information Systems yamada@nacsis.ac.jp 要 旨 ワープロが普及し、常時活用する者が増えるとともに、かな漢字変換などのわずら わしさを嫌って、「直接」入力法に関する関心が高まっている。本稿ではかつて筆者 たちが行なった2ストローク入力法についての、約10年まえの紹介の自後経過をまず 報告し、次いで当時から問題であった、技能習熟訓練を普及させる努力の現状と、特 に小中学生からの習熟に欠かせない、人間工学的に配慮された小型キーボードの開発 の必要性について述べる。最後に、変換入力法における文字使いをもつと知能的に改 善する方略と、ローマ字入力におけるつづり方の統一について考察する。なお付録と して、アメリカ合衆国ミネソタ州における、キーボードの使い過ぎによって起こった とする手の異常に対して起こされた損害賠償請求裁判の経過の速報と評価をつけてあ る。 ABSTRACT Because of the complexity of Japanese writing system using many thousand o f logographic characters even for daily documents, commercially produced Jap anese word processors have been relying on phonetic-to-character conversion systems from the phonetic input entry on regular (typewriter-like) keyboards . However, as word processors became quite common and are extensively used, the statistical nature of the conversion system is considered annoying and s tressful by many, on account of common appearance of homophones in the langu age. And, although still limited, there is some renewed interest in the ``di rect" character input methods based on some unique character coding on regul ar keyboards. This note starts off as a sequel to the survery report of a decade ago on our study of coded input methods, and then moves on to review the efforts ex pended by the society on the input skill acquisition by all, specially from the time of their youth, together with the accompanying necessity of supplyi ng smaller and ergonomically designed keyboards. Finally, the note proposes more intelligent approaches to the phonetic-to-character conversion algorith ms, beyond the presently commercially supplied word processor software, and also to the standardization of romanization for phonetic input methods. As an Appendix, a short summary and assessment is included of the recenttr ial in a State of Minnesota district court, which is of a law suit for compe nsation against occupational injury purportedly caused by keyboard operation s. [キーワード] 技能習得,表記法,かな漢字変換,キーボード,日本文,人間工学,入力, ローマ字入力,2ストローク入力,ワープロ [Keywords] skill acquisition,writing system,phonetic-to-character conversion, keyboard,Japanese,ergonomics,input,coded input,direct input, word processor Now that we have lost the sight of our objective, let us redouble our effort. ― a cynic's quip ― 1. 日本語の表記法と入力問題 アルファベット表記法の使われている欧米においては、1874年に工業的製造の始ま ったタイプライタが、遅くとも今世紀初頭にはよく普及していたのに比べて、日常の 使用においてさえ2000ないし3000字の漢字を必要としている日本の場合には、清書機 としての和文タイプライタが、オフィスには数十年遅れて導入されたものの、社会に おけるその機能は、欧米におけるものとは大幅に異なっていた(Yamada 1980[37] 参 照)。 第2次大戦後のエレクトロニクスおよび、その中心的応用産物としてのコンピュー タの急激な進歩に伴い、日本文ワードプロセッサの商品化が1978年になって始まった ものの、その開発の主力はいかにして日本語の複雑な表記法の入力をコンピュータに よって「簡略化」し、克服するかに注がれた。しかし熟練作業としてのタイプ作業、 すなわちタッチタイプの本質に関する基礎研究などは、たいして注目されることなく して過ぎてきた。 その裏には、日本では女性をみっちりと訓練し、専門的職能を身につけさせてから 、男性と同格の立場で企業体の組織に組み込むという意識が希薄で、その結果、今だ に男性優位の社会構造があることは否めないであろう。同時に、国際的批判があるに もかかわらず、そうした日本的社会構造は人間中心の生産体制(Clematide 1994[4]) の究極の帰結でもあると思われ、また日本の工業の成功や社会の平穏と密接に結びつ いているものであるから(Yamada 1991[43])、にわかには排除できる性質のものでな いむずかしさがある。 それでも、ワープロ製品が導入されて約15年を経て、その使用に熟練した人たちの 人口がかなりの数になったいま、現在もっとも普及している、かな(あるいはローマ 字)漢字変換入力にまつわる作業の繁雑さに疑問を持つ人たちの数もまた増えてきて いる。すなわち、変換作業に関わるファンクションキーの使用、さらには同音異義語 の選択に伴なうキー入力操作の乱れや、それに付随する、視線の表示画面へのしばし ばの移動などが起こす、入力作業のリズムの中断はもちろん、創作タイプにおいては 、そうした補助的な作業が頭の中での文章作成作業をも中断し、思考過程への干渉を もたらすことなどのわずらわしさがあり、ひいては長時間作業中のストレスを起こし 、精神的圧迫感を与えることなどに対する反省である。 その根源には日本語が漢字かな混じり文という複雑な表記法をとっていることがあ ることは言うまでもない。本稿においてこの漢字が問題となるのは、日常におけるそ の必要数が数千の規模であるということにあるのは明らかであるが、そのほかに、や たらに同音異義語が多く、しかもすでに現在では実験心理学的に確立されている事実 であるが、文章を読んだり書いたりするときに、われわれの頭の中で起こる文字の認 知過程が、主として漢字の音韻に頼っているということから起こってくる、同音異義 語の混同の見落としの問題がある。 漢字が直接語を表わす表語文字(logogram)であるという単純な考えでさえ、現在で は文字学的、言語学的に否定されつつあるにもかかわらず(たとえば Unger and DeFr ancis 1994[36])、18世紀にヨーロッパで考え出された、もっと極端な、漢字は発音 と独立に、形だけから直接に意味を伝えることのできる表意文字(ideogram)であると いう考えは、その後アジアに逆輸入され、いまだにそれが表意文字神話(ideographic myth)として多くの人びとに信じられている(AAS 1995[1])。 しかも最近では、フランスの構造主義以後の文芸理論(post-structurist literary theory)のチャンピオンである、たとえば中国語も中国社会もよく知らないデリダ(J acques Derrida)などによって1960年代に言い出された、アルファベットが抽象的で 民衆から離れた冷たい存在であり、官僚主義の権化であるのに対して、漢字は自然に 近く、詩的であり、民主主義的であるといった観念論までまことしやかに流布され、 言語を社会システムのモデルとすることがひとつの文芸運動とさえなっている(たと えばErbaugh 1995[6]参照)。 とにかく、漢字書き中国文を読んだり理解したりするときに、話しことばを抜きに しては意味が伝わらないことは、すでに台湾出身の心理言語学者Ovid J. L. Tzeng( 曽志朗)教授一門の、1970年代からのアメリカにおける精力的な実験研究によって実 証されている。さらに日本語の場合についても、たとえばホロデック(Richard A. H orodeck)博士の実験研究によって、漢字の意味を理解するときにも、また書くときに も、脳における意識下の処理過程において、その表現する音声言語が決定的な役割を 果たしていることが明らかにされている(Horodeck 1987[8])。 すなわち、ほとんどの場合に無意識であるにもかかわらず、われわれの頭の中にお ける漢字の認知処理がこのように音声言語主導で行なわれているがために、発音が同 じであると、書くときに同音異義語による置き換えの誤りがよく起こり、またかな漢 字入力を行なうときに、同音異義語による置換誤りを見逃しやすいことがホロデック 博士の研究によって決定的に証明されたのである。 実はこれは入力処理においてわれわれが常に経験していることであり、わずらわし く、ストレスを高めているばかりか、出来上がった文書の校正読みのときに、しばし ば入力誤りを見落とす原因ともなっている。 このかな漢字変換入力が、全くの初心者でも、曲がりなりに始めから何とか使える のに対して、初期にみっちりとした技能習熟訓練は欠かせないものの、そのあとでは そうしたかな漢字変換入力にまつわる欠点を持たず、半ば大脳皮質による反射作業と なる、真に自然で楽な日本文入力法として、漢字に一定のコードを割り当て、そのコ ードによって直接に入力する「コード」入力法がある。(これは稀に出る漢字をJISコ ードによって入力することとは全く別のものである。) このコード入力法にも、コードの決め方の違いによって、大きく分けると、連想式 と無(連)想式(=反射式)、それにその中間の方式ぐらいの3種類があり、その上その おのおのにおいても、またいくつかの方式が使われている。そのどれもが、主要漢字 をキーの2打によって入力するので、一般には「2ストローク入力法」と総称されてい るようである。 かつて1974年ごろから約15年ほどにわたって筆者たちは、東京大学において、専任 タイピストに向いた、これらの2ストローク入力方式の研究を行なった。その結果、 中でも一見いちばんむずかしそうに見える無連想方式が、実はそれほどむずかしくも なく、かつ人間の本性にもっとも適しており、しかもコードの決定における自由度が 高いぶんだけ、指の使い方がより合理化できるものであることなどが分かった(Yamad a 1983[38])。 この直接的な入力法については、いまでも一般にはあまり知られていないが、筆者 たちの用いた「Tコード」以外にも、たとえば豊橋科学技術大学における「TUTコード 」(大岩元, 高島孝明, 三井修 1983[28], 大岩 1986[26], 1990[27]参照)を始めとす る、多くの基礎研究や開発が行なわれてきた。その結果、かつてTコードあるいはTUT コード入力法の研究に携わった人たち、およびその周辺にいた人たちの中には、その 後も文書作成や電子メールに2ストロークコードを活用している者がけっこうあるら しく、現在ではその人たちから広がった同好会とでも呼ぶべきものが結成され、広い 地域にわたって情報交換を行なっているようである(電子メール連絡アドレスtcode-m l@is.s.u-tokyo.ac.jp)。 この無連想式の漢字コードの一つであるTコードによる、筆者たちの日本文の入力 法に関する研究については、約10年まえにその途中経過を紹介したことがある(山田 1984[39])。(次節はその続きとして書かれるものであるから、次節を読まれるまえに 、まずそれを一読していただくことが望ましい。しかしそのあとの節はほとんどそれ ぞれ独立である。) 以下では、まずこの研究のその後の反省について述べ、次いで日本文の入力技能習 得に関わる一般的考察をなし、そのあと本当に使いやすいキーボードの在り方につい て焦点をあてる。次に、現在もっとも一般化しているかな漢字変換入力法における文 字の使い方の改善についての提案を示し、最後にいま使われているローマ字漢字変換 入力法についての評価を行なうことにする。なお、かな入力、ローマ字入力ともこれ ら変換入力法についての記述はかつて山田(1994b[45])の付録として書いたものを今 回書き改めたものである。 本稿は、いかなる問題に対しても、まずその問題の原点に立ち返り、その問題の本 質を明らかにした上で、問題解決の最適解を求めるという立場をとって書く。しかし ながら日本文化では、問題の本質に立ち返り、抜本的に取り組むという姿勢を嫌うと いう性向がかなり強く、とかく小手先の技術に頼った対症療法で済まそうとすること が多い。 それゆえ、日本の現状と本稿で示す方策の基となる理念とのあいだにはかなりの解 離があり、本稿で提案している事項の中には、現実離れをしていると思われるものも まま見いだせるであろう。 にもかかわらず、今われわれが直面している問題に対処するためには、まず根本に 立ち返って基礎的な理念を明らかにしておかなければ、することなすことの客観性は 明らかになり得ないであろう。したがって本稿では、必ずしも即時的な対策やその結 果の速効性を期待できないような事項についても敢えて記し、諸賢のご参考に供した いと思う。 2. 無連想式コード入力法の見直し 無連想式についての前記の一文(山田 1984[39])が書かれたときには、すでにカナ 漢字変換による日本文ワープロが商品化されてから約5年経っていたが、すでに述べ たような、その使い勝手の悪さや、英文タイプライタの使用に比べると精神的ストレ スが高くなることのゆえに、われわれの研究はまだ続けられていたし、その将来性に ついても、かなりの期待を持っていた。 それからさらに10年が経ち、いまでは日本文ワープロの使い勝手も少しは良くなり 、いろいろな機能も充実し、かつ価格の極端な低下もあって、大幅の普及をみている 。また通常のオフィスにおける、一般の入力方式としても、かな(あるいはローマ字) 漢字変換入力法が他の入力法をほとんど駆逐してしまった。一時は一部において商品 化された、異なる漢字コードによるいくつかの2ストローク入力方式も、現在のワー プロでは全く装備されなくなり、いまでは2ストローク入力方式は、その高能率、低 誤謬率が買われて、わずかに入力業務専門の企業の一部においてのみ実用化されてい るだけになった。 したがっていまとなっては、10年まえにおける筆者たちの研究の自己評価は的はず れの楽観論に基づいたものであるかにみえ、そのいまでさえ2ストローク入力方式に こだわるのは、現実の世界を離れて理想の夢を追うドンキホーテ的行動として、眼に 写るかもしれない。 筆者たちも、無連想式コードによる入力法の研究そのものは、もう5年ほどまえに やめてしまっている。しかし、筆者たちの実装した、無連想式Tコードによる入力法 の技能を約8年前に習得した女性秘書の一人は、途中約3年間にわたる全くの空白期間 をおいて3年前に復帰したとき、ほとんどすぐさま再び入力作業につくことができ、 それから現在まで、秘書としてずっとその作業を非常な高能率で続けている。 特筆すべきことは、秘書としてのあらゆる業務のうち、かな漢字入力を使っている ほかの秘書たちが入力作業を一番避けたがるのに反して、この女性はほかの仕事に比 べて入力作業にもっとも熱心であり、かつ楽であると言いきっていることであろう( 山田 1984[39], 1988[40]参照)。しかも彼女は、状況の制約によって、別のところで はかな漢字変換入力をも駆使しているのであるが、その低能率と同音異義語の問題と に不満を感じている。 このたび電子協から、かつて筆者たちが行なったこの入力法の研究についての講演 を依頼されたおりに(山田 1994c[46])、10年前に書いた、上記の古い解説(山田 1984 [39])を読みかえしてみた。研究課題として、無連想式コード入力法が、あるいはも う時代遅れになったものと言えるのではないかと思って読み始めたのであるが、予期 に反して、入力法の研究課題としては、いまだに十分通用するものであると思える案 件が、数多く述べられているのは、筆者にとってさえ意外であった。 とは言っても、この10年のあいだに、入力方式に対する世間の意識に大きな変化が あったし、またわれわれの実験も、その後は当時予期しなかった道をたどった。 この1984年の解説においては、熟練したタイピストが無連想式コード入力法におい て日本文入力の作業をするときの脳の使い方を調べるために、作業中のタイピストの 脳波のうち、β波(13〜30Hz)を指標として用いた試みが述べてある。しかしその後は 、タイピストが作業に熟練すればするほど、β波の出力電位が減り、それにともなっ て右半球と左半球とのあいだの出力の差が小さくなってしまい、しかもα波(7〜13Hz )出力の大幅な増大が見られてβ波出力をマスクしてしまうので、指標としてβ波が うまく利用できなくなり、筆者たちはこの筋にそっての研究を断念してしまったので ある。 その後Oohashiら(1991[22], 大橋他 1993[25]参照)は、音楽の中の非可聴高周波成 分の有無が、被験者によって認知できないにもかかわらず、脳波中のα波成分を測定 することにより、非可聴高周波数成分が、一般には快感、満足感、静謐感の指標であ るα波の出力を増大させることを見いだし、かつ、同様の手法が、視覚刺激の効果の 一般的評価法の一つとして、特定の場合には有効になることを報告している(大橋・ 不破本・仁科 1992[23], 大橋・仁科・不破本 1992[24]など)。 開眼時の脳波では、視覚的刺激に誘発されるβ波成分が活性化し、それによってα 波成分は抑制(blocking)を受けるために、β波成分に対比すると、α波成分は脳の活 生状態の指標としてはまず使えないというのが、脳波を医学上の臨床に用いている当 時の専門家たちの定説のようであった。しかし大橋らの研究は、適当な実験条件のも とでは、ある種の視覚刺激のあるときでも、脳の活動状況の指標として、α波成分が 有効に利用できることを示した点に大きな意義があろう。 入力作業中の脳波を測定した筆者たちの実験においては、日本文を無連想式コード で入力した日本人被験者たちの場合、約1年の技能習得訓練を経た時点でとったデー タは、数年間実務についていたアメリカ人の英文タイピストたちのものと似た脳波の 電位分布パタンを示し、右半球のβ波が優位であった。しかし眼や首など、周囲から 来る筋肉電流(筋電)は、実験条件のもとで、アメリカ人の場合には、ほとんど完全に 自分で抑制できていたのに、日本人のタイピストの場合にはかなりの筋電が見られ、 データからこのノイズを除去するのに、実験には細心の注意が必要であった。 以後アメリカ人の被験者については、帰国など、かれらの都合によって再度の実験 ができなかったが、日本人の被験者の場合、さらに1年たち、訓練開始後約2年目に行 なった再測定では、この1年間に入力スピードではほとんど増加がみられなかったが 、筋電ではアメリカ人の被験者の場合と同じように、ほとんど消滅してしまっていた 。しかしそれと同時に、先にも述べたように、α波の電位が増大し、β波は右半球と いえどもほとんど出なくなってしまった。 これらの事実から、一つの推定ないしは仮説が可能である。 すなわち、ベテランの英文タイピストがかなりのβ波を残していたのに、よく習熟 した日本文の無連想式タイピストの脳波からβ波が消えたことについての解釈である 。英文タイピストの場合、タイピングはアルファベットのパタンから、やはりもう一 つのパタンである、キーボード上のキーの空間位置への写像、すなわちパタンからパ タンへの変換ではあるものの、アルファベットつづりの単語はかなりの音声情報をも 顕示しているから、この場合、言語情報処理は他の純粋パタン情報処理よりも意識に のぼりやすいということがあって、そうした音声情報からキーの空間位置情報への変 換が、ある程度は右半球によって意識的に行なわれていると考えられる。それに対比 して、日本文の無連想コード入力では、文字のパタンからキーボード上でのコード( つまり空間パタン)へという、一つのパタンから他のパタンへの、相対的には純粋な パタン変換のみが行なわれ(Yamada 1983[38]、山田 1984[39])、十分に熟練したあと では、そうした運動はついに一種の反射的な作業となり、この作業の大部分が大脳皮 質よりも小脳によって制御されるようになってくるために(Ito 1989[10]参照)、作業 が英文タイプの場合よりも無念無想の境地に近づき、β波が消えていくのだと考えら れる。そうした精神状態は、ほかの状況のもとでも起こることが、すでに研究されて 、いろいろと分かってきているようである(たとえばHirai 1974[7])。 なお、これに似たような、脳機能の微妙な差は、幼児が文字の読みを学習するとき にも、対象がアルファベットであるのか、それとも漢字であるのかによって起こって いるもののようである(山田 1995[47]参照)。 したがって筆者たちも、β波成分を離れα波成分に着目して、さらに研究を続ける べきであったかもしれない。しかし、こうした実験の指標として脳波を使うこと自体 に対して懐疑的な意見が強かった当時としては、学生たちが実験に対する意欲を削が れてしまい、ついに研究を中断してしまったのは、いささか心残りである(山田 1994 a[44]参照)。ただし、その後熟練作業としての入力法の研究そのものは継続し、別の 取り組み手法を通して、それなりの成果を挙げることができた(たとえば岡留他 1986 [18], Okadome and Yamada 1990[19], Ono and Yamada 1990[21], Yamada 1983[38]) 。 なお、日本文入力の被験者が、2年ほどの練習と実務の期間を経たときに、やっと 筋電が出なくなったことであるが、これは約1年間の練習では、入力速度こそほとん ど定常値に到達するにしても、まだその時点では技能が真の熟達にいたっていないこ との反映である。全体で2年ほどの経験を経ることにより、やっとβ波がほとんど出 なくなる上に、筋電もまた出なくなってくるということは、その状態にいたって、は じめて活脱自在、悠々とした入力作業ができる境地に達するということを示している のだと言えよう。 それでは技能習得にあまりにも時間がかかりすぎていると思われるかもしれない。 アメリカの(英文)タイピストの場合に、技能習熟が進むにつれて、その筋電の脳波へ の混入の程度がどう変化するかを調べたことはないが、しかしアメリカで長年多くの 秘書のタイプ技能の進展を見聞きしてきた経験からすると、彼女らの場合でも、タッ チタイプの十分な訓練をまず受けた後、実務についてから一年ぐらいして、やっとタ イプ中のぎこちなさや緊張感が失せるようであるから、彼我のタイピストのあいだに 、こうした円熟した技能の習得期間の長さにおいてさしたる差はないと思ってよいで あろう。したがって、おそらくこの筋電の出具合というものは、タイピストの技能習 得後期における真の円熟度を示す、タイプ速度よりも細かく精密な指標として使える のではないかと考えている。 そのほか、日本文ワープロが出現してからのこの15年のあいだに、日本における文 書作成の仕方が大幅に変わり、今世紀初頭からのアメリカでの慣行であった、手書き や口述速記から行なうコピータイプの過程を通りこして、ワープロで直接創作タイプ をする人たちの数が格段に増えている。しかし、こうした創作タイプに用いる入力法 として、かな漢字変換入力と無連想式入力とのあいだの、科学的な比較実験による基 礎的な研究はかなりむずかしいものであって、いまだにそれがきちんとした形で取り 上げられていないのは残念なことである。 いままでにいろいろと観察された現象を踏まえて、筆者たちのみるところでは、こ うした創作タイプのときにも、おそらく無連想方式のほうが楽でしかも速くなるであ ろうことは、ほぼ間違いないことと思われる(岡留他 1986[18], Okadome and Yamada 1990[19], Ono and Yamada 1990[21], Yamada 1983[38]などを参照)。特に無連想式 入力において、漢字コードを失念したとき、あるいはまだ漢字コードを習得していな い漢字に出遭ったときに便利な、字形組み合わせ入力や交ぜ書き変換法(小野 1990[2 0])、またはかな漢字変換そのもの(たとえば塩見他 1992[32])などを補助入力法とし て活用できる入力システムについては、さらにその感を深くする。 日本におけるキーボード入力の技能習得について、もう一つ問題となるのは、現在 では英語が知的活動の事実上の国際的公用語となっているために、日本人が知的な作 業を行なうときには、日本文の入力のほかに、英文の入力が不可欠となっていること である。すなわち、われわれは日常英文入力と日本文入力の両方を使い分けなければ ならないということである。したがって、学術的活動作業の比率が高い大学などでは 、1種類のキーボード操作法ですませようとすることが、ローマ字漢字変換入力法が 好んで使われる大きな理由となっている。 そうした事実は、英文におけるローマ字入力操作とは全く別のキーボード操作技能 を必要とする、2ストローク入力法を改めて習得することに対する心理的な障壁とな っていることは否めない。 しかし、果たして2種類のキーボード入力操作技能の習得はそれほどむずかしい、 あるいは、いやなことなのであろうか。数こそ少ないとは言え、多種類の異なるキー ボード操作技能を十分身につけた人たちの例を、筆者はかなりの数知っている。 アメリカで、文字配列を合理化した、いわゆるドボラク(Dvorak)キーボードをANSI (American National Standards Institute)の代替標準(ANSI X4.22-1983)にする作業 にかつて加わっていたPhilip Davisは、Qwerty配列のキーボード、ドボラク配列のキ ーボード、それにこれら2者よりも操作がずっと複雑な、印刷活字鋳造用ライノタイ プのキーボードの3種類を、日常分け隔てなく使って作業をしていた。 またオレゴン州立大学において、Qwerty配列からドボラク配列の使用への再教育訓 練実験に参加していた被験者タイピスト16人は、昼間はQwerty配列で実務を行ない、 夜間はドボラク配列で再教育訓練を受けるということを続けていたが、何ら問題はな かったと言う(Lessley 1978[14]参照)。 日本においては、録音リライターであり、かつ文章入力法の研究者である竜岡博は 、日本文入力のための、数多くの異なる配列のキーボードによる入力技能を次から次 へと習得して使いこなすという能力において、研究者のあいだでは、今では伝説的な 存在となっている。 そのほか、筆者たちの開発した、研究用の2ストロークシステム「Tコード」による 入力技能を習得した人たちは、英文タイプと、Tコードによる日本文タイプとを自由 に使いこなしている。筆者の秘書などは、そのどちらにおいても抜群の技量を持ち、 しかも楽しんで仕事をしている。だから、少なくとも若いときに習得すれば、異なる 入力法を二つほど使いこなすのは、あたかもスキーとスケートの両方をこなすのと同 じように、さしてむずかしいことではなく、また常時使っていれば、相互間に操作の 混乱もないと言える。 したがって、英文タイプのほかに2ストローク法による日本文入力の技能を習得す るのを嫌うのは、それ以上に習得が困難で時間のかかる、漢字かな混じり文による文 章力の習得において、まず息切れがしてしまい、そこからもう一歩進んで、その文章 を楽に入力する技能を習得することに対していだく、拒絶反応であると言えるであろ う。 3. 入力処理ソフトの高度化を追いかける、入力技能の習得訓練法 この10年ほどのあいだに起こった、エレクトロニクス関連技術の大幅な進歩は、コ ンピュータ機器の小型化、高速化、低価格化をもたらし、ワープロや、ゲーム機など を含む小型コンピュータ機器はいまや一般家庭に着実に浸透しつつある。その結果、 小中学生が家庭において、ゲーム機、ワープロ、パソコンに触れる機会が日常化する とともに、教育の現場においても、文部省は小中高校にワープロやパソコンを導入整 備することを決定し、現在その計画は着々と実現しつつある。最近では小学校におい てさえ、コンピュータを介在する国際通信システムの一つ、インターネットの利用と 取り組むものが出てきている。 そうした一般コンピュータ機器の普及とともに、キーボードおよびその操作技能の 習得に関する、古くからの問題がまたしても新しい形で浮上してきた。 すなわち、早くからコンピュータ関連機器に親しんできた生徒ほど、いざ大学生に なったときに、ローマ字入力を嫌い、かつタッチタイプを拒むという傾向が目立つと いうことである。このことに関して、ある大学の情報処理教育の担当教官から相談を 受けたことがあるが、その後いろいろと聞くところによると、どうやらこれは一般的 な現象であるらしい。さらにこれは日本におけるだけのことではなく、職業的タイピ ストとは別に、近年になって少年少女時代からキーボードを使い出す者の増えている 欧米においても、やはり目立ってきている現象であるという。 たとえばゴルフなどにおいて、はじめに我流で練習をしたために、悪い癖のついた 者ほど、あとになると正しい打法の習得がかえって困難であり、またたとい苦心して 習得したあとでも、えてしてもとの悪い癖を出しやすいという、運動技能習得一般に ついてよく知られている事実と、これは軌を一にする現象であり、半ば反射的に行な われる運動機能一般の持つ、宿命的な性格を示している。 こうした事態に対応するために、日本商工会議所(日商)では、早くにはOA機器の効 果的な活用を推進する目的で、慎重な調査研究の結果、1985年度から「日本語文書処 理(ワープロ技能)検定試験」を実施し、また文書処理技能教育の指導者養成の目的で 、1992年度には、別に「日本語文書処理技能マスター認定制度」をスタートさせた。 しかしながら、将来の高度情報化社会に適合した国民の養成の目的では、こうした成 人レベルに至ってからの検定や認定では、キーボードの正しい使い方へのスタートを 切る方向づけにはまだ不十分であるとの認識から、さらに1993年度には「キーボード 操作技能研究委員会」を発足させてこの問題に対する方策を検討した。その委員会で は、タイプ技能に詳しい委員からなる作業部会を設置して研究を行なった結果(日商 1994[16])、1994年秋からは、文字通りのタッチタイプの技能レベルを示すための、 主として若年者向けの「キーボード操作技能認定試験」が、日商によって全国的に実 施される運びとなった。 その性格は検定試験ではなく、むしろ学習者が自からの技能の進歩を自分でチェッ クできる仕組みとなっており、その方法も、フロッピディスクに入れたテストプログ ラムと評価プログラムとから成る、いわゆる``do it yourself"のソフトウェアシス テムの活用によっており、日商はその自動評価の結果を手続き的に認定するという、 全処理過程がコンピュータ化されたものとなった。 それぞれのワープロ用については、外国製機種のベンダーを含む、各メーカの全面 的協力によって、このソフトはすでに供給されており、またパソコン用については、 日商の手によってMS-DOS版が準備されているから、現在市販されているワープロおよ びパソコンのほとんど全てが、この技能認定の媒体として使えるようになっている。 日商のこの認定試験の制度化は時宜を得たものであり、すでに通産省、文部省をは じめとする、多くの関係省庁が関心を寄せているとのことである。 しかしながら、キーボードを活用するのに、楽でしかも能率のあがるタッチタイプ の技能を身につけるためには、こうした技能習得の、いわば出口に至ってからの奨励 手段の制定だけでは不十分である。日商もそのことは十分理解しており、1994年4月2 1日には「高度情報社会に向けての基礎教育等の重要課題に関する提言」を公表して いる。 この提言は要領よく3ページにまとめられた短いものであり、第1には上記の操作技 能認定試験の普及教育のために、日商自体として、タッチタイプ技能習得の動機づけ や指導者養成のための全国的セミナーを実施することを宣言するとともに、さらにタ ッチタイプ技能の習得過程の入り口から必要とされる各種措置の早期実現を期待して 、それと密接に関わり合っている関係省庁、業界団体、企業体、教育界などに対する 提言を明らかにしている。 この提言は、(1)タッチタイプ技能の教育普及、(2)キーボード本体の改善の研究と 実施、(3)情報機器の操作時における健康問題との取り組み、(4)機器の製造・利用・ 廃棄と地球環境問題との関わり、の4項目から成っており、そのどれもが、従来あま り見られなかった、大局的視野に立つ、画期的な取り組みとなっている。 その第1項のタッチタイプ技能の普及については、英文タイプの時代から、国の内 外で数限りない研究書や教科書・練習書が書かれてきた。初めから10指(実は9指が多 い)をキーに割り当て、キーを全く見ないようにして練習するという点では、全ての 著作の主張がほぼ一致しているものの、具体的に練習に使用する文章などをどんな原 理で選び、かつどういった順に並べるべきかについては、その背景となる理論にまだ 諸説があって、いまに至るまで収束しているとは言えない。 ここでは詳しいことに立ち入れないが、たとえば指の運用を滑らかにするために、 まず無作為(つまりナンセンス)文字列を打つことから練習を始めるとするものもあれ ば、現実のテキストに顕れない文字列を打つ練習をするということは、とりもなおさ ず将来誤り打ちのもとになる文字列を打つような反射運動の癖をつけることになるの だから、初めから単語や文章に出てくる文字列しか打つべきでないという主張もある 。 そのほか、これに似たような、相異なる細かい主張は数多くなされているが、要す るに人間には個人差が大きいのであるから、こうした異なる主張には、主張者自身の 性格や運指能力が反映されているという可能性もあるであろう。 いずれにしろ入力技能とその形成については、大脳神経学、運動生理学、教育心理 学、認知科学などを含む人間科学によって、まだこれから解明されなければならない 研究課題が、かなり残されていることは確かである。 たとえば、かな漢字変換による入力時に起こる、脳内における言語処理がキー入力 の運指運動に与える干渉(岡留他 1986[18]参照)に関する実験的な詰めや、この干渉 を最少限に抑えられるかな漢字変換入力法の追求、キー入力時の運指運動量などの生 理学的なパラメタの定性的測定法の確立、無連想コード入力法の最適教育法、ひいて はそうした全体的活動の認知科学的な位置づけなどは、その見本の一部である。 したがって入力法の技能教育にあたっても、さしあたりは、あまり一つの説にこだ わることなく、できるだけ個々の生徒の性格などに合った練習法を見つけ出してやれ る洞察力と柔軟性とが教師に望まれるであろう。 将来において、もし生徒の性格などと、それらにふさわしい練習法との関係が見い だされたとすれば、生徒にははじめに適性検査を施し、その結果の示すところに基づ いて、それぞれに最も適した練習法を選んでやることができるようになるかもしれな い。 タイプ技能の習得訓練に関連して、ここで一つ指摘しておきたいことがある。 われわれが熟練タイプ作業の研究をしていたとき、当然ながら、その技能を習得す る最適の訓練方法についても関心を持った。そして分かったことの一つは、コンピュ ータでテキストを表示してそれをタイプさせるという練習プログラムにおいて、打鍵 された文字をすぐさまスクリーン上に表示するよりも、ある一定量の打鍵のあと、た とえば句読点あたりをひと区切りとして、そこまでを一遍に表示するほうが良いとい うことであった。 現在のワープロやパソコンのワープロソフトでは、キーのミスタッチをしても、す ぐさま簡単に修正ができるために、練習のときに正確に打鍵をするということがおろ そかになり、ついミスタッチをしやすいが、すぐに修正さえすれば、出来上がった文 書においてはその跡は全く残らない。 しかし、この修正作業を行なうためには、そのまえに必らずスクリーンを視るとい う動作がつきものであり、その分だけ作業に余分の時間がかかるし、特にコピータイ プのときには、エラーの有無をチェックするのに、たびたび原稿からスクリーンへと 眼を離しては戻すという動作にも時間がかかり、それがまた眼の疲れを大きくする。 それで技能習得中にそうした打鍵エラーをしては修正するということを減らす努力 をするとともに、たびたびスクリーンを見ることをしない習慣を自然に身につけるよ うにするには、上に述べたように、入力された文章の表示に遅れをかけることをする のが良いとの結論に達したのであった。 残念ながら私たちの研究では、被験者数の確保や、実験規模の制約の問題があった ので、この結論は、表示遅れの有無をパラメタとした厳密な比較実験の結果として得 られたものではなかった。 しかし、その後各種のOA機器を用いて教育をしている専修学校の教師の方がたから 、簡便なエラーの修正機構のない機器を訓練時に使った生徒のほうが、こうした安易 にエラーをしては修正をする癖や、それに伴ってしばしばスクリーンなどを見る癖が つきにくいので、後になって実務についてから、作業能力が大幅に伸びるものである という経験談を伺うことができた。 最近ではワープロやパソコンのワープロソフトに入力練習ソフトが含まれている商 品が出回っている。しかし、そうした練習ソフトには、上に述べたような出力を遅ら せる機能が取り入れられたものがほとんど見当たらない。 そうした練習法は初心者にとって取りつきにくいものとなるので、メーカーとして は販売政策上わざわざそんなものを実装したくないと考える気持ちは分かる。しかし 、正しい入力技能を身につけるための練習には、たといユーザーの口には合わなくと もそうした苦い薬は有効なのであるから、少なくともユーザーの意志によるパラメタ の設定によって、出力表示の遅延がオプションとして可能になるように練習ソフトを 作ることは大いに望ましいことである。ぜひメーカーの配慮と実施をお願いしたいも のである。 その上おそらくは実務用の入力においても、そのように表示に遅延が自由にかけら れるような使い方ができれば、いい加減な打鍵をしては修正をすることやたびたびス クリーンを見たりすることは、おのずと抑えられるものと思われる。 次に、日商の提言が取り上げている第3項に含まれる、キーボード操作時の健康問 題についても、作業環境から起こるだけでなく、やはり作業者の気質や性格などの個 人差が大きく効いてくるものと思われる(山田 1988[40])。したがってこの問題の解 決には、今後とも基礎的な研究による詳しい取り組みが必要になるであろう。 以下で特に取り上げたいのは、日商の提言の第2項にある、キーボード本体の改善 の研究とその実施に関わるものであり、提言はさらに(a)全機種に接続可能なキーボ ードの開発、(b)キーボード上の文字の配列、(c)サイズを含む、キーボードの物理的 形状、の3課題から成っている。 英文の入力の場合と異なり、表記法の格段に複雑な日本文の入力の場合には、使用 目的や使用頻度などの差によって、もっともよく適合する入力方式が異なってくる。 したがって過去において、目的に応じて異なる入力方式が種々と提案され、試作され 、あるいは実用化されていて、現在に至るもそれらが統一される気配は見られないし 、また統一されるのが良いという性格のものでもない(山田 1989[42]参照)。 現在市場シェアの圧倒的に大きい入力方式はかな漢字変換入力方式であるが、その ほかにも、それぞれの使用者数は相対的に少ないながら、かなりの数のほかの入力方 式が使われている。コンピュータの基本ソフト(OS)がいくつかに絞られだし、事実上 の標準化に向けて収束しつつあるとともに、ハードウェアが高速化、大容量記憶化、 小型化、低価格化に向かっている現在では、応用ソフトとしての各種入力ソフトも、 異なる機種に合わせて、フロッピーディスクで簡単に実装できるように仕上げること は、技術的には十分可能である。 しかしそこで問題になるのは、もっともたいせつな、人間とのインタフェースとし てのキーボードが、それぞれの入力システムごとに異なるものを要求していることが 多いことである。すなわち、日商がキーボードに関して出した上述の提言の(b)には 、文字配列の多様性の問題を解決するために、日本文入力に適した新しい配列の開発 の必要性が述べられている。 この問題はすでに古くから注目されており、異なる職場間での作業の併立性を保証 する目的で、キーボードの文字配列を統一することは、たとえばトップダウン的に取 り組んだ規格化作業の結果として、キーボード上のかな文字配列の新JIS規格が1985 年に制定された。しかしその後これはいっこうに普及せず、いまではほとんど忘れら れている。それでも、文字配列の不統一に悩まされている使用者側は、下からの要望 として、繰り返しこの統一問題を取り上げてきた(たとえば野田 1987[17])。 すでに述べたことから明らかなように、入力作業の目的や使用頻度などが異なれば 、そのおのおのにもっとも適合した入力方式があり、それらはキーボード上で異なっ た文字配列を必要とし、事実そうした配列が数多く実用化されている。それでもまだ 、現在使われている各種の入力方法のどれにも満足していない人びとが依然として存 在し、かれらは新しい入力方式のくふうをするとともに、それらに使う新しい文字配 列もまたつぎつぎと開発しているから、その全般について詳しく述べるのには、1冊 の独立した書物を必要とするほどである。したがって、文字配列の統一に対して反対 論が出てくるのも、また当然のことである(たとえば竜岡 1987[34])。 それにしても電子協が1994年度に設置した入力方式研究会の調査、運営方針が、こ うした目的用途、頻度などの多様性に整合している、多様な入力法の特性を明らかに するという大局的な枠組を考えることなく、(a)現存する規格、基準の論評や、新規 の規格、基準の提案を行なうことなど、また(b)製品、技術、方式などに関する理論 の比較や評価などと、これら二つを目的とする調査は行なわないことを始めから宣言 しているのは(電子協 1994[5])、依然として狭い視野に留まっているものとして、残 念なことに思われる。 4. キーボードに関する諸課題 この種の調査研究の真の問題点は、実は日商の提言(a)にある。それは1979年に発 足し、名称を変えつつ10年ほど続けられた、情報処理学会の「日本文入力法研究委員 会」(1979-80年度)、「日本文入力方式研究会」(1981-84年度)、「日本語文書処理研 究会」(1985-86年度)、「文書処理とヒューマンインタフェース研究会」(1987-89年 度)などでもたびたび指摘され提言され続けた、異なるキーボードと本体、すなわち ワープロ、パソコンなどの処理系ハードウエアとの接続インタフェースを可能な限り 規格化し、どのキーボードも全機種に接続可能にすることである。そうすれば文字配 列の統一はまず必要がなくなる。そしてユーザーは、「包丁一本さらしに巻いて…」 ではないが、自分の手に合うキーボードと、自分の好む入力システム対応のフロッピ ーディスクとを携帯しさえすれば、どの場所、どの機器でも簡単に仕事ができるよう になる。 しかし現状では、タッチタイプのように人間の熟練技能を用いる作業において、ひ とたび一つの配列に習熟してしまったあとでは、他の配列に切り換えることがなかな かむずかしく、また作業誤りも増える。したがって各機器メーカーが自社のキーボー ド配列を、すでに獲得したユーザーの抱え込みの手段として珍重するのは当然のなり ゆきである。その結果、メーカーとしてはそうしたキーボード間の互換性の確立には いたって消極的となり、筆者の知るかぎり、いままでにこの問題がいずれかの関連団 体によって真剣に取り組まれたことは一度もないようである。 近年、各種OA機器がシステム化するとともに相互に接続されるようになって、異機 種間での接続を可能にするための標準化が市場での大きな要望となり、たとえば日本 事務機械工業会は、通産省工業技術院からの委託事業の一つとして、1991年から5年 間の計画で「OA機器の利便性に関する標準化調査研究委員会」を発足させた。1994年 度現在、その中には操作性と互換性との二つの分科会があって、それぞれ熱心な調査 研究を続けているが、このキーボードの接続互換性については、まだ全く手がつけら れていない。 それには、1985年に制定された、かなキーボードの新JIS規格の不調が大きく影響 していると思われる。しかしその制定にあたっては、たとえば情報処理学会や人間工 学会などの専門家はほとんどなんの相談を受けることもなく、主として、売らんかな の営業側からの要求によって過大の制約を受けている、機器メーカーからの委員の主 導で、事が運んでしまったといういきさつがあった。 エレクトロニクスの技術が当時より格段に進歩した現在でも、全ての入力方式につ いて各種キーボードと各種機器との間の互換性を保とうとすれば、この問題はまだか なり面倒なものである。しかし、入力作業において反射的操作が最も重要となるアル ファベットやかな文字に、いくつかの句読点記号など、最低限数のキャラクタだけで も互換性を保つようになっていれば、それだけでも異なる機器の互換的使用がかなり 可能になる。 社会のニーズの多様化に応えて、情報機器が多種・多様化し、かつ相互接続しての 使用がますます普遍化しつつある。その接続を簡便化するために、いまやオープンシ ステム化は常識となりつつある。その今、最もたいせつな人間とのインタフェースを 自由化するために、こうした、キーボードと処理系機器とのインタフェースの規格化 は、いまこそ業界団体が積極的に推し進めるべき課題である。それを怠り、立ち場の 弱い使用者側から機器へのインタフェースである、キーボード上の文字配列を、使用 目的などの違いがあるにもかかわらず統一規格で縛ろうとするようなことは、われわ れの衣類や靴をただ一つのサイズの規格で統一しようとするのと同じように、かなり 的を外した考え方であろう。これはキーボード一般についてのISOの方針そのものに ついても言えることである。 最後に日商の提言(c)である。タッチタイプの技能の訓練を、技能の習熟に最も向 いている小中学生の教科レベルから始められるようにするためには、個人の体格や感 性にあうサイズ、形状、触感、操作性などを考慮したキーボードを開発・商品化し、 個人による自由な選択を可能にすることは、文字配列の自由化とともに、明らかな必 要対策である。 しかるに現状では、タイプライタの発達史上の偶発的産物として市場を支配し、今 世紀初頭においてさえすでに時代遅れとされた、日本人にはもちろん、体の大きな欧 米人の手にさえ大きすぎるサイズと形状のキーボード(Yamada 1980[37]参照)が、そ の後そのままISOの規格となったために、それがまたJISでも規格化されている。 このJISキーボードをかなり良く使いこなしている人たちのあいだにも、現在のキ ーボードは大きすぎないという者がかなりある。ところがこうした人たちのキーボー ドの使い方を注意してみると、10指(9指)よりも少ない指を使っている者が多く、し かもキーを拾うのにかなりの目視を使っている。つまり、1873年にキーボードが設計 されたむかしに戻って、キーボードを文字を拾うために見るテーブル(=表)として、 かなり機能させていることが分かる。 もちろんそのためにはキー上に記されている文字がよく見える必要があり、したが って、もしキーが手の大きさにちょうど良いぐあいになるように小さく作られ、配列 が密になっていると、キーボードを表として目視するのに手の存在そのものがじゃま になるので、かえって現在の大きさのほうがよいという判断が出てくるのであろう。 このことは、キーボードの大きさの適性度を判定するにあたって、まずタッチタイ プを完全にマスターしている被験者を相手として実験し、検討しなければならないこ とを意味している。 現在のキーボードが日本人の手に大きすぎることは、たとえば4段目に指が届かな いからと、親指シフトを導入して、それと3段だけの組み合わせを採用したワープロ が広く歓迎されたことに端的に表われている。キーボードの形や大きさが適当であれ ば、4段分全部のキーの使用はそれほど困難ではないことは、いくつかの研究によっ てすでに明らかにされていることである(たとえば坂村 1986[29]、最近の報告として は、新井・志柿 1995[2])。 したがって、もっと人間工学的に配慮されたサイズや形状のキーボードの必要性に ついては、過去においてたびたび指摘され、またそれに沿って多くの研究もなされて いる。それにもかかわらず、産業界はこのISO/JIS規格の存在を口実にして、いまま でほとんどなんの対策もとってこなかった。 古く機械的タイプライタの時代には、どのくらいの年令からタッチタイプを教えた ら良いかについて、米国ではかなりの実験的研究がなされた(Yamada 1980[37]参照) 。その結果、当時の未発達で融通性のない機械工業の限界から来る、タイプライタの 機構上の制約が理由の一端となり、タッチタイプの教育は高校生レベルから始めるの が最適と結論された。すなわち、(a)手がキーボードに適合する大きさに成長するま で待つことがその主な理由であったが、そのほかにも(b)文章作成に十分な国語(つま り英語)の力がついていることが望ましいことなどの理由が示された。 しかし、エレクトロニクスが進歩し、生産技術も経済的に多品種を少量生産できる ようになった今日、もはやそうした機械工業的な制約はなくなったと言える。また日 本文においては表記法が複雑で、年令とともに書かれる文章の表記法の変わり方が大 きいから、国語教育上早くからキーボードを使うことが英語の場合よりも有効になる と考えられている。したがって、小中学生からの正しい情報処理教育をこれから始め るためには、まずかれらの手に適合する大きさのキーボードの供給を実現する必要が ある。 にもかかわらず産業界は、過去においてそうした要望をずっと無視し続けてきた。 ときには、そうした要望に対して、「ピアノは子供でも大人と同じものを使っている 」といった的外れの説明を与えたことさえある。しかしピアノの練習の場合、子供が 弾くのはキーボード上で子供の手に合わせて作られた曲であるが、タイプの場合には 、子供の手の届くキーだけを使って文章を作るなどということはナンセンスであるか ら、この問題に関してピアノの練習を比較に持ち出すことには全く関連性がない。事 実、普及品の単価がピアノよりもずっと安いバイオリンでは、子供用のものが昔から 供給されている。 そうした中にあって、最近パソコンやワープロがラップトップ型からノートブック 型、さらにはサブノート型と小型化するに及び、それに組み込むためのキーボードが 小型化を余儀なくされると、メーカーは勝手に小型化したキーボードをさっさと採用 し始めた。 しかもそうするにあたっては、きちんとした人間工学的基礎研究を行なうこともな く、せいぜい、たとえばすでにJISキーボードを駆使している人たちを集め、試作キ ーボード上で採った誤り打ちのデータなどを参考にしてそのサイズを決めるといった 、行きあたりばったりの開発手段をとっているのである。しかし、すでに大きなキー ボードに慣れた人たちは、たとえ本質的には最適の大きさのキーボードを与えられて も、その大きさがJISキーボードから離れれば離れるほど、そうした試用時に誤り打 ちが増えるであろうことは明らかであるから、こうした実験結果には現実的な価値が ない。 さらにキーボードの物理的な形状であるが、現行のキーボードの原形は、120年も の昔、主として医者や弁護士といった男性が、せいぜい左右の手の指の2本ずつを使 い、キーボードを目視しつつ打つために考えられたテーブル(=表)型にある(Yamada 1980[37]参照)。したがって、現在の人間工学の知識と高度化された製造技術とを駆 使すれば、格段に使い勝手の良いキーボードが新しく作れるであろうことは容易に想 像できる。事実、そうした試みはいままで個々には数限りなくなされてきた。しかし 、タッチタイプをするのによく適合した形状の個人向けのキーボードを、各種サイズ のセットとして開発・製品化するために、業界全体が協力するという動きはほとんど 見られない。 5. 職業病対策を考慮したキーボードと国際規格 この問題は、第3節で述べた、情報機器の操作と健康とに関する、日商の提言の第3 項とも深くかかわってくるものでもある。社会の情報化に伴い、オフィスはもちろん 、家庭にまでパソコンやワープロが普及し、広範な使用が日常化してきた。それとと もに、極度に激しいキーボード作業もまた珍らしくなくなったので、それに伴う職業 病が目立つようになって来たのも驚くにはあたらない(山田 1988[40]参照)。 アメリカ政府の統計によると、1980年代から1990年代にかけての10年間に、手の使 い過ぎによる職業病の発生率は約10倍に増加し、その大きな部分が、このキーボード の使い過ぎによるものとされている。1992年6月25日づけのニューヨーク市からの共 同通信によると、当時ニューヨーク州の連邦裁判所には、キーボードの過度の使用に よって起こったとされる職業病に関する、製造物責任(PL)法に基づく約40件の訴訟が 持ち込まれており、裁判の準備中であるとのことであった。その被告側には、キーボ ード付き機器の世界で最大の製造企業であるIBM社をはじめとする多数の企業体が含 まれており、日本の企業も数社が入っていて、損害賠償の要求総額は数十億ドル、日 本円にして数千億円にのぼるものであるとのことである。 法廷ではこれら数多い訴訟を個別に審査することをやめて、一括して審査をする決 定をしたということであったが、その抗争は1994年になっても続いており、被告側の 製造企業側は、原告側の主張を覆す根拠を見いだすことを目的として、1920年代にま で遡る、キーボード作業に関する数多い研究報告の検討を、いまごろになって行なっ ているという始末である。 キーボードの使い過ぎによる職業病の救済のために、PL法に訴えるのが果たして妥 当なものかどうかは、これからまだ何年も続くであろう、数多い裁判の結審にまつこ とになるが、現用のキーボードの構造はそうした職業病の危険をはらんでいることを 警告してきた、少なからぬ研究報告(Yamada 1980[37]参照)を長年にわたって無視続 けてきたと言える、業界の体質には問題があろう。 ある製品を開発した時点での知識水準では判断できなかった欠陥については、開発 した企業の責任を問わないという「開発危険の抗弁」の条項のある日本のPL法と異な り、アメリカのPL法では、因果関係が証明されさえすれば企業はいかなる場合でも責 任を負わされることになっているから、キーボード使用の潜在的危険についての研究 論文がすでにあったことをたとい知らなかったとしても、免責には関係ないようであ る。しかし、もし知っていた上で無視していたとなると、たとえば損害賠償の額など 、裁判の結果には大きく影響するものと思われる。したがってその場合企業側の弁護 方策は、そうした研究報告の主張そのものを企業がどう評価していたかという点の立 証にかかってくるであろう(付録参照)。 そうした社会的状況の中にあって、当然ながら、このところ新しいキーボードに関 する研究が数十年ぶりに復活し、外国でも日本でも大学や企業の研究者から、新しい 提案がつぎつぎと出されている。その詳細について述べるには、独立した別の論考を 必要とするが、しかしそれらに含まれる原理そのものは、すでに数十年前に提案され ていたものと大差がないと言える(Yamada 1980参照[37])。ただ一つ異なっているの は、かつてのアイデアの実現が主として機械的な仕掛けに頼らざるを得なかったのに 対し、現在ではエレクトロニクスやコンピュータによる処理がふんだんに取り入れら れていて、多様性を増すとともに、コストダウンを可能にしていることであろう。 いますでに、生産性が勝負どころとなる入力業務会社やソフトウェア会社などの中 には、既成のワークステーションなどに付属したキーボードの文字配列や触感には満 足できないとして、社員のために特別注文で作らせたキーボードを使わせているとこ ろが少しはある。 そうした状況の中にあって、今世紀末の究極的なフォン・ノイマン型コンピュータ のシステム化を目指している「トロン」プロジェクトでは、キーボードについても多 くの被験者の協力を得て、タイプ作業時の人間工学的データを実際に集め、それに基 づいて新しい形状とサイズのキーボードを設計し(坂村 1986[29])、商品化した。筆 者としては、まだその開発原理の中にいくつかの合意できない点があるが、それにし ても、まぎれもなくこれは歓迎すべき動きであろう。同様に、NECが日本文入力用に 新しく開発したキーボードは、段のあいだで手の移動を楽にするように、キーのタテ 並びが「ハ」の字型に沿って左右対称に配列され、改善された形状になっている。 日商の提言にあるように、多種多様の異なる用途にそれぞれ適合し、かつ個人の体 格に合わせて形状やサイズが選べるように多様化された仕様のキーボード群が供給さ れ、それに伴って、それら各種のキーボードが全機種に接続できるようなインタフェ ースの規格化が行なわれることは、これからの社会の情報化を推進する上で、欠かせ ない施策の一つとなるであろう。 エレクトロニクスを駆使してこうした新しいアイデアを商品として実現させること は日本の企業のお家芸の一つであるから、やって出来ないことはない。しかしその場 合、そうして出来あがった新しいキーボードやインタフェースの採用と普及のために は、官民が協力しての強力な教育啓発活動が絶対に欠かせないことも過去の経験に照 らして明らかであろう。ぜひ日本が世界に率先して実行していただきたい対策である 。 たとえばコンピュータが普及したお蔭で、現在では社会におけるソロバン塾には昔 ほどの人気はないが、依然として社会に深く根を下ろしているし、また横の組織も健 在のようであるから、それを生かし、本稿に述べているような新しい規格に沿ったワ ープロを導入してリストラを図り、それによって小中学校生徒のためのワープロ塾を 民間に整備するという案はどうであろうか。こうした施策は、個々の企業体の実行で きる限界を越えていると思われるから、総合的なトップダウンの政策が望まれるであ ろう。 文部省が小中学校からの情報処理教育を導入するにあたって、上記のトロン仕様の キーボードの採用も検討されたようであるが、結果的には見送られてしまった。それ については、外国によってこれが貿易における非関税障壁として非難されるのを恐れ たからだという憶測も流れたようであるが、やはり真実は、たいした利益も見込めな いような、新しい製品の開発と取り組むことに対して懐疑的な業界の意向で、既成の 機器をそのまま売り込めればよいという思惑の反映が優先して取り上げられたという ことであろう。 仮りに輸出の便を考えて国際規格を尊重するにしても、それは国内の要望を無視し てよいということにはつながらない。日本は世界第1の自動車輸出国であるが、海外 に出す車は国内の規格そのままのものではなく、相手国の規格に合わせて作ったもの である。またテレビ受像機なども、もともと受信周波数が異なり、かつ数十チャンネ ルを受けられるものになっている上に、聴覚障害者用の文字放送が受信できることが アメリカでは連邦政府法によって義務づけられているが、日本にはそうした法的な規 制がないから、日本企業がアメリカに輸出しているテレビには、やはりそうした機能 のためのICチップが特別に組み込まれている。しかしそれが輸出における非関税障壁 となっていると、日本がアメリカに苦情を言ったという話しは聞いたことがない。 そうしたアメリカは、たとえばコピー用紙のサイズのように、ヒューマン・インタ フェースとは関係ないところでさえ、全世界が採用して使っているISO規格のサイズ を採用せず、自国の慣用サイズを特別規格としてISOに規格化させ、それによって世 界の事務機器のコスト高の一端を招いているのである。 まして人間の技能や広範な文化問題のからんでいるキーボードにおいて、国内向け と海外向けとが別規格であることになんら問題はないし、また本体とのインタフェー スにしても、その国際性を気にするのなら、すでに世界における最大量の製品供給の 実績で事実上の(de facto)国際規格となってしまった、某社などのインタフェースを 新規格として採用すればよいのかもしれない。人間が使用するキーボードと異なり、 こちらは機械間のインタフェースのことなのだから、どれを採用したとしても、使い 勝手のほうはほとんど同じになり、使用上大した問題は起こらない。 近ごろ日本ではなにかにつけて政府の規制が多すぎるとされ、大幅な規制緩和に向 けての要望が強い。しかしそれらのほとんどは省庁の権益に関連する規制についての 苦情であって、このキーボードと処理系のインタフェースのように、消費者の利益に 直接つらなっており、ひいては社会の生産性の向上にも資するものについては、むし ろある程度の規制を導入することによって標準化を図るべきであろう。 もちろん、コンピュータ技術がさらに発展を遂げるならば、日本文入力にあたって キーボードに頼る必要もなくなるかもしれない。そうした技術の一例が音声入力であ る。 英文の入力については、たとえばIBM社によってパソコン用に商品化されたソフト ウェアPersonal Dictation Systemは完成度の高いものであって、日本円に換算する と、定価が9万円を切っているにもかかわらず、約2時間分の指定テキストを読み込ん で特定のユーザーにチューニングしたあとでは、1分あたり約100語(漢字かな混じり の日本文の情報量に換算して約250文字分)の連続入力処理速度を楽に発揮するもので ある。 またそのときどきの単語の認識率は約98パーセントである。 しかしふつうの人では、文を構成するのにときどきポーズが要るから、平均の口述 速度は1分あたり40から50語(日本文では100字から125字分)となるが、そのほかに文 の校正や誤りの訂正の時間を入れても、1分あたり約30語(日本文の75字分)の文書作 成の生産性を誇っている(Karat 1995[11])。これは日本文400字詰め原稿用紙にして 、1枚約5分20秒、つまり1時間あたり11枚強の作文入力に相当する。これは筆者の知 る限り、かな漢字変換システムを用いて作業をしているいかなる人たちよりも早い入 力速度となっている。 現在では、こうした音声入力システムを使って作成したと明示された電子メールが 、国際インターネットに乗って、筆者のところへも外国から流れ込んでくるようにな った。 そうした性能が高く評価されて、このPersonal Dictation Systemは1995年、アメ リカのDiscover誌の第5年次Technology Awardでコンピュータソフト部門の最優秀賞 を獲得している。このたび商品化されたWindows版では、名前も新しくVoiceTypeと改 められ、ますますの人気を集めているようである。 日本語は音韻構造が簡単だから、英語の場合よりも早く日本文音声入力システムが 完成できると、すでに1930年代後半から喧伝されてきたにもかかわらず、こうした英 文の音声入力システムに対応する日本文入力システムがいまだに商品化されていない のは、やはり漢語が多すぎることから来る、同音異義語間の同定の問題が満足に解決 できていないことがあるからだと思える。 とにかく、日本語についてもこうした音声入力システムが実用化すれば、大量の日 本文の入力方法として、キーボード入力方式にとって代わるものになるかに思える。 しかし、どうやらそれは正しくないらしい。 すでに1970年代の終わりに、リコー社における詳しい人間工学的研究によって明ら かにされていることであるが(小島 1979[13])、2ストローク入力法に比べて、音声入 力法は精神的、肉体的、感覚的に、使用者のストレスがかなり高いものとなるようで ある。 したがって大量情報の入力法としては、キーボードによる2ストローク入力法に勝 るものは、いまのところまだなく、作業者の健康管理の点からも、キーボード入力法 式一般のいっそうの改善は、やはり真剣に取り組くむべき研究課題として、いまだに 重要性を失っていないのである。 6. 変換入力にあたってのワープロの文字使い 別のところで筆者は、日本語の表記の中で使われている、多すぎる漢字、その訓読 みの複雑さ、それに同音異義語の出すぎに対してどう応えるかという問題などを、言 語としての見地から大局的に検討してみた(山田 1994b[45])。こうした表記法の存在 は、そのまま日本文入力の繁雑さとして顕われてくるのは明らかである。 しかもこの問題は、かな漢字変換方式のワープロが大いに進歩し市場に出まわって いることによって大きく影響され、今では逆に、日本文の文字使いがワープロソフト によってかなり束縛されてしまっている面がある。したがって、より良い日本語表記 を見いだすという立場に立って、これからのワープロソフトをどう考えたらよいかは 、いま大きな課題となっている。ここでは筆者の考えの一部を、山田(1994b[45])の 付録を少しばかり敷延した形で、簡単に述べてみることにする(ヤマダ 1989[41]参照 )。 まずワープロの商品化の出発点においては、その辞書作りは大変な作業であり、多 大の努力が注ぎ込まれたことは言うまでもない。同時に、すでにあった辞書が、その まま大いに活用されたことも事実である。そのため、もともと辞書の目的の一つであ る、漢字で書かれたむずかしい字や単語の読みや意味を明らかにするものという側面 が逆の方向に強い影響を与えて、かな(やローマ字)で表音的に入力されたことばを、 漢字に変換することが行きすぎ、初めのころの変換ソフトでは、適切さの限度を越え た、たとえば「扠」や「頗る」など、非常にむずかしい漢字や表記が出すぎることに なってしまった。その後かなり整理されたとはいえ、いまでもその傾向はたいていの ワープロに見られる。 それでは、これからのワープロソフトの設計はどうしたらよいのかということにな るが、それにはいくつかの方策が考えられる。まず、その根底に置く中心的思想の一 つとして、変換を個々の単語ごとに決めるのではなく、変換システムとして体系化す るという行き方が考えられる。 その線に沿って第1に考えられることとしては、パラメタを設定することにより、 たとえば(1)漢語は教育漢字の部分だけ漢字化し、あと残りの部分はカタカナで表わ すとか、(2)その漢字の枠を常用漢字表にまで広げたものにする、さらに(3)訓読みの ものは教育漢字だけにしてあとはひらがなにする、(4)その限定を常用漢字表にまで 広げる、などの簡単なコントロールを効かせることがある。 こうした漢字の難易度の設定のレベルはさらに細かくして、(5)小学校卒の平均レ ベルまで、(6)中学卒の平均レベルまで、(7)高校卒の平均レベルまで、(8)大学卒の 平均レベルまで、(9)制限なしにする、などに区分けして使いこなすことができるし 、さらにそれらと上の(1)〜(4)のような選択を組み合わせることにより、使用者の好 みのレベルに合わせた、細かい使い分けができる。 そのほか、一般には薦められないものと思うが、目的によっては(10)漢字を全て旧 字体だけに統一するとか、さらに一歩後退して、(11)「究極」を「窮極」に、「世論 」を「輿論」に、あるいは「独壇場」を「獨擅場」にするなど、古い表記、古いこと ばにもどすことなども、パラメタとして指定できてもよいであろう。逆に、(12)「学 」を「斈」に、「檜」を「桧」にするなど、徹底して俗字・略字を使うことなども設 定できるようにするのも一興かもしれない。 また山田(1994b[45])の第12節、第13節で詳しく検討してあるように、たとえば日 本語における「ふむ」の語を表わす漢字には(a){「踏」、蹈、跋、蹠、躡}、(b){「 践」、踐}、(c){「履」}、(d){「躔」}や、そのほか、JISの漢字表に含まれず、ここ で簡単に印字できない漢字から成る、数学的表現を用いて言うと、多くの疑似同値類 がある。それらの中で、代表同値類はおそらく(a)であろうが、その代表元「踏」を もってしてこれら全ての漢字を代行させるといったように、(13)漢字は疑似同値類の 族の中の、代表同値類の代表元だけを使うといった、かなり極端な試みもできるよう にしておくことは、今のところ一般的ではないかもしれないが、日本語の表記法の将 来を模索する試みの文章を書く目的には、それなりに役に立つであろう。 このような、漢字の集合全体の中にみられる、ある規準に合わせた構造的区分に基 づいて、使用する漢字が指定できるようになるだけでも、ワープロの使い勝手はずっ と良くなると思う。 しかし、それではまだ不十分である。さらに文法的情報を活用したパラメタの種類 としては、かつて奨励され、個人的には筆者など、いまでも良い方式であると思って いる、(14)「また」「すなわち」「したがって」など、副詞は全てかなで書くという ルール、あるいはここの例に示したように、(15)和語の副詞はかな書きにするものの 、漢語から来た「別に」「段々」などの副詞は漢字にする、さらに昔に戻って、(16) 漢字で書けるものは全て漢字にするなどのコントロールを与えることは、パラメタと して便利なものになるであろう。ただし、ことばによっては、古くさかのぼってみる と、どこまでが和語でどこまでが漢語から出たことばとするか、にわかに決められな いものも多いから、この辺のところは個人的な好みがかなりはいってくる選択になる であろう。 しかも、たったこれだけの能力をソフトに加えるのにも、たとえば同じ「したがっ て」でも、変換辞書は「前例に従って」の場合と「…、したがって…」の場合を、ま た「いった」も「彼の言ったことによると」と「そういった具合に」の場合を区別し て書き分けたりすることが要求されるようになるから、そうしたソフト作り全体はけ っこう慎重かつ繁雑な作業を必要とする。 さらに、読みやすさを助ける見地から、たとえば10文字以上など、あまりに多くの 漢字だけ、あるいはかなだけが続きすぎるところは、(17)同字種の続きすぎをスクリ ーン上での点滅によって警告する、さらに進んで、(18)長すぎる漢字列の場合に、も っとも適当なところで「の」などの助詞を挿入して漢字の続きすぎを破るような示唆 を与えるとか、(19)別の和語、あるいは漢語で置き換えるような候補を示唆するとい った、統語論的、意味論的な処理を加味したチェックシステムを作ることもできる。 そうした試みに関連して、すでに山田(1994b[45])の第14節でも述べたことであるが 、かなの続きすぎをやわらげるのに有効性の高い、分かち書きを楽に使えるように、 別途、(20)使い勝手のよい、半角スペースの挿入方法、それにできれば、(21)かなの 続きすぎるとき、このスペース挿入部の自動選択・挿入機能なども、作り込まれてあ れば便利であろう。 特にここで強調しておきたいのは、活字印刷の普及したあと、せいぜいこの150年 ぐらいにわたって固執されてきた、印刷から分かち書きをいっさい排除するというこ とをやわらげれば、たといかな書きの割り合いを増したとしても、小スペースによる 分かち書きさえあれば、日本文はずっと読みやすくでき、日本語の文章の中にやたら に多くの漢字をちりばめることがやめられるということである。したがって、将来の 表記法のあり方の模索を促進する上では、小スペースが自然に挿入できるということ がワープロの望ましい機能の一つとなるであろう。 しかし、こうした問題に対するメーカーの対応はあまりかんばしくない。おそらく 、はじめからそうした問題には気がついていなかったメーカーがほとんどであったで あろう。また問題が指摘されても、それをきちんと取り上げようとする動きは、ほと んどメーカーに見られないようである。 いまのふつうのかな漢字変換入力のワープロソフトでは、ユーザーがコントロール (CTRL)キーを押しながらスペースバーを押すことによって、半角スペースが入るよう になっている。これは便利ではあるが、しかし同時打ちという動作はふつうの打鍵と は異なるから、高速入力のできる人にとっては、打鍵のリズムをかなり乱すものにな る。 中には入力作業開始まえのモード設定によって、スペースは全て半角になるワープ ロソフトもいまはある。このモードで全角スペースを入れたいときは、ただスペース バーを2度打ちすればよい。 しかし、かな漢字変換ソフトなどの複雑さ、膨大さに比べると、これではまだ中途 半端な改善と言ってもよいであろう。もう一押しして、半角スペースの使い勝手を良 くする方法は、さらにいろいろと考えられる。 すなわち、入力技法のいかんにかかわらず、日本文入力において全角スペースが欲 しいのは、たとえば句読点のあとなど、ある決まった状況の場合が多いのだから、そ れらを検出して全角スペースに替えることぐらいは、いまのソフトウェアでは何でも なくできる。もちろん、行末などの場合には、半角スペースや全角スペースが次行の 頭に送られないように、禁則処理を施すことは当然である。これはワープロソフトの メーカーにぜひ考えていただきたい追加機能の一つである。 ついでに、純粋に字種だけの処理だった(1)〜(13)などのパラメタに加えて、意味 処理を含ませた、(22)むずかしい漢語はやさしい漢語あるいは和語によって置き換え る示唆を与えるパラメタの採用なども、出力文章を読みやすくする上に大いに役立つ であろう。逆に特殊な目的のためには、(23)月並みな漢語を、むずかしく、滅多に使 われない文語的漢語で置き換える示唆なども、一般的ではないが、ワープロの文章推 敲能力の一部としては、あってもよいのかもしれない。 そのほか、送りがなの方式にしても、「いった」「おこなった」などを「行った」 「行なった」としたり、「くみあわせる」を「組み合わせる」とするなど、変化する 部分は全て送るという、少し前まで推奨されていた方式は、日本語と全く違った中国 語から、無理をして漢字を取り入れている日本文の表記法としては、もっとも読みや すいものなのだから、こうした(24)変化する語尾の部分を全てを表明する送りがなに するのか、それとも、少しばかりの書き手間と文章の占めるスペースを惜しんで、現 在推奨されている最少限の送りがなをつける方式にするのかの選択を決めるパラメタ は、これからの表記法を考えて行く上で不可欠のものであろう。送りがなをもっと細 かく選択する方式の一例については、やはり山田(1994b[45])の第14節でちょっと触 れてあるが、ここでは省略する。 とにかく、ふつうわれわれが文章を書くときには、文字使いに対して、少なくとも このくらいの考慮はいつも払っているのだから、創造性を持った人間の文章作成の道 具としては、最低このくらいの表記法上の処理能力も持つことなく、きまりきった文 字使いを白痴的にユーザーに押しつけてくる現在のワープロソフトは、まだとても人 工知能の成果などと自画自賛できるしろものではないと思う。 いずれにしても、こうした機能を持たせた、使い心地のよいワープロができれば、 それによって、書き手は意図をじゅうぶん反映させた多様な文章が作れるようになり 、いまのようにワープロが人間を操るのではなく、人間がワープロを使うという状態 に一歩近づけることと思う。 しかし、どんなにワープロその他の事務処理用機器が良くなっても、現状のように 、それによって人間の書く文章の標準が実行上で決まってくるという過程は、理想で はない。あくまでも日本語の文章のあり方の理想というものが、人間中心の立場から まず十分に検討されて決められ、そのあと、ワープロソフトはそれに従って設計され るべきものであるということを、ゆめゆめ忘れてはならないであろう(ヤマダ 1989[4 1])。同時にワープロソフトの設計者は、ただ顧客の気まぐれ的な個々の要求に応え られればよいと考えるだけでなく、まず国語の表記法の本質というものについて熟知 し、全体的に一貫した理念を持って設計に当たって欲しいものである。 7. ローマ字入力時の表記について 次に、日本語の表記法およびワープロ入力法に関連することであるが、ワープロで かなりの英文入力もしている人たちの中には、日本文の入力にあたっても、かな入力 よりもローマ字入力を使う者がかなり多いことと思うので、本稿の趣旨からは少し外 れているが、ローマ字入力用の表記についても、ここでひとこと書き足しておく。 これについてもいくつか問題がある。その一つは、同じ日本語を表記しているのに 、かなとローマ字とでは標音表記法の違う点がいくつかあるという、一部には日本の 行政省庁間のタテ割り制度から来る制約が強く働いた結果できあがり、その後も長い あいだ国語審議会によって放置されたままになっているとはいえ、国語政策の根本問 題から起こっているものである。 すなわち、たとえば分かち書きのためのスペースの有無のほかに、助詞の「…は」 と``…wa"や、「…を」と``…o"など、それに長母音の例では「おうりょく(応力) 」すなわち``ôryoku/ooryoku"などの場合に、「おう」と``ô/oo"など と表記されることである。したがって今のワープロソフトでは、「応力を」をローマ 字入力するときに、スペースは抜いてもよいが、表記法の標準となっているローマ字 つづりによらずに、かなつづりを一文字ずつローマ字に直して``ouryokuwo"と入力し なくてはならない、ローマ字表記からすると変則的なものしかない。 具体的には、たとえば市場でも売れ筋の、ある日本文ワープロ製品をとってみる。 そのキーボード上には、長音を表記する山形の記号がないから、そうした場合にロー マ字表記法において認められている母音の繰りかえし表記、すなわち、``â"に は``aa"、``ô"には``oo"などを使って入力をしようとすると次のようなことが 起こる。 まず、「し」「ち」「つ」「ふ」などの子音部については、訓令式でもヘボン式で も差しつかえない。 しかし長音になると、まるでだめである。たとえば「長音」は``tyouon"と打てば 出るが、正しく``tyooon"と打つと「ちょおおん」とかな文字しか出ない。以下「長 所」「調査」「京都」「兄弟」「交番」「道路」「放送」「病院」「病気」「防火」 「料理」「社長」「少年」など、みなこの伝である。 そのほか同じようにしたときに漢字で出るものは全て見当外れで、「調理(=tyoor i)」の「著織り」に始まって、「教育」は「挙甥句」、「教師」は「挙押し」、「王 様」は「多さ間」、「往復」は「大拭く」、「往来」は「大らい」、「交通」は「こ 乙卯」、「相談」は「曽於団」、「葬式」は「曽於式」、「掃除」は「曽於路」とし か出てこない。 中には発音が全く同じ同音異義語なのに、無理をして書き分けなければ正しく出な いものもある。たとえば「大路」は``oozi"と入力すればよいが、「王子」のほう ``ouzi"だし、「大手」は``oote"であるが、「王手」は``oute"であり、「大阪」は ``oosaka"だが、「逢坂」だと``ousaka"になる(以上の例は鈴木(1994)[33]による)。 このように、このワープロではローマ字の正書法は全く無視し、勝手に決められた 便法に頼ってしか、入力できないようになっている。 なお、たとえば「応力」を``ouryoku"など、``ô"を``ou"とつづって入力す ることなどは、ローマ字表記として入力しているのではなく、かなに対するコードと 考えているだけなのだから、これでよいという意見もあるが、現在ではローマ字も日 本文の表記文字の一部としてますます取り入れられてきているのだから、入力におい ても、やはり国の標準であり、また国際規格にもなっている表記法に合ったつづりが 優先されることが理想であろう。その他のつづり方による入力のオプションは、少な くとも国の標準によるものがきちんと満たされたあとでのことと考えるべきである。 現在では、漢字かな混り文を処理するソフトの応用も一般化し、入力された漢字か な混り文が視覚障害者用の触知文字(点字)文に変換されたり、また音声合成によって 、音声サービスなどにも使われる時代になった。しかしこれらのシステムでは、必ず しもことばの正確な発音情報を持っておらず、特に後者では発音とずれているかな使 いから、アルゴリズムによって発音を導き出すシステムが使われている。 しかしながら、この表記と発音とのあいだにずれがあったり、またそれがローマ字 書きでの表記の仕方とも異なっていることなどは、国語の表記法における根本問題な のであるから、アルゴリズムによるような姑息な変換法などに頼ることなく、発音を 表記しているローマ字によって辞書作りをくふうすれば、標準つづりによるローマ字 入力は分かち書きされているのだから、それを基にしてふつうの漢字かな混じり文を 生成するということはそんなに面倒ではなく、ソフトウェアにそうした機能を書きた すことは、現在のかな漢字変換ソフトそのものを書くのに比べて何でもないことであ る言える。したがってそうしたソフトは早く開発されるべきである。ぜひ実行してい ただきたいと思う。 それが実行に移されたとして、次に問題になるのは、日本語のローマ字表記には、 長母音の記号``ˆ"が正式に定められているのに、JIS規格のタイプライタキーボ ードでは、この長音記号が完全に無視されていることである。一国の規格としては、 こんな不思議なことは、世界のどこを探してみても、おそらく一つもみつからない、 変則的なことではないかと思う。かりに``ˆ"の代わりに``&marc;"を用いたにし ても、そのキーの位置はまことに不便なところにあるので、なかなか使う気にはなれ ないであろう。日本では日本文を考慮に入れたキー文字配列があってしかるべきであ る。 こうしたことに、きちんと取り組んでないこともあってのことだと思うが、しばら くまえにだれかがどこかで``A"の代わりに横棒の外れた``Λ(ラムダ)"を使いはじめ ると、それこそ馬鹿の一つ覚えのように、いまわれもわれもとおおぜいで真似をして いるが、その反面、日本語において区別のたいせつな長母音・短母音を書き分けるた めの長音記号``ˆ"を使うことは、さっぱり行なわれていない。だからたとえば 「齟齬」、「相互」、あるいは「総合」かもしれない名前のデパートの看板が街にあ って、外国人ばかりか、かれらに道を聞かれる日本人をも困惑させることになり、い ったいだれのためのローマ字書きかと言いたくなる。また「いと 良かど」といった 、古語と方言の折衷のように読める、あるスーパーのローマ字書きの名前も、愛嬌は あるかもしれないが、表記の目的を達してはいないし、別に「とと」などという幼児 語のローマ字書きも見受けられる。 ふだんわれわれは、他人がどう読むべきか分からないような漢字の使い方を平気で しているので、無神経になっているのであろうが、文字使いは正しく読めるようにす べきものである。歴史的ないきさつで、フランス語文には依然としていろいろな補助 記号が使われているにしても、今ではそれらは省略されても読むのに困らないのであ るが、日本語の長音記号ではそうはいかない。日本語もその音韻構造も知らない英米 人の使う不完全なつづり方のまねをすることは止めて、もうそろそろわれわれは、真 の国際化のために、日本語をちゃんと表わすローマ字書きを使い始めるべきときでは ないだろうか。 ローマ字入力に関しては、もう一つ、つづり方にヘボン式と訓令式との二つが使わ れていることも問題である。事大主義に徹している日本人は、外国というとまっ先に アメリカやイギリスぐらいしか念頭になく、したがっていまでも圧倒的にヘボン式が 使われている。 しかし、第2次大戦まえの1937年にいまの訓令式の前身(近衛 1937[12])が決められ たときには、言語学の専門家が約20年をかけたあと、形態音素論的に日本語によく合 ったものとしてそれが採用された。たとえばヘボン式で使うch, j, sh, tsなどは、 ちょっと聞くと日本語の子音をより正確に表わしているように聞こえる。しかしなが ら、日本語の子音の多くでは発音するときに舌端が歯の裏にあたっていることと、i, u, yなどの母音の発音のときの口の開きがずっと狭くなっていることの二つがある ためにために、それぞれt, z, s, tとして表わしたほうが、実は音韻学的にずっと正 確な表記となり、その上そうしたほうが日本語の形態素にも整合性がよいつづりとな るのである(たとえばSaeki and Yamada 1977[31]参照)。事実日本人が``machine"を ふつうに発音したときに、アメリカ人の耳にはそれが``masine"(マスィーン)と聞こ えるそうである。 そうした理由によって訓令式が定められた当時は、まだ欧米の植民地が多かったに もかかわらず、ヘボン式が反映している英語的な表音のつづり方式のうち、たとえば jなども、世界の言語のアルファベット表記法の中では、発音を表わす文字の選び方 として少数派の系統に属したものであることが、綿密な調査で明らかにされている( たとえば佐伯 1932[30])。その後世界では独立国が増え、たとえば中国やマレーシア のように、国語のローマ字表記を英語式からそれぞれの国のことばの形態音素体系に 合わせたものに変えた国がいくつもあるから、現在ではますますその差が大きくなっ ている。 日本でも1937年制定の訓令式が、大戦後の占領下時代に長期にわたって再審議され た結果、またしても日本語のローマ字書きに最も適した標準表記法として1954年に採 用され(吉田 1954[49])、その後国際的な標準化の舞台であるISOでも検討された結果 、1989年にはISO標準3602になっている(ISO 1989[9])。 このISO3602標準は、当然ながら日本の委員も作業に加わっている、ISO技術委員会 TC46の作業部会SC2において1989年に決められたものである。しかもISOの規定により 、全ての標準は5年ごとに国際的な見直し作業が行なわれることになっていて、このI SO3602も1994年に見直し作業が行なわれた。そのとき日本はこれについて現状で良い という投票をしているから、国際標準として、改めてこれを承認していることになる 。したがって日本は国として現在もISO3602を支持しているのであり、当然国内にお いてその採用を推進すべきものなのである。 もし何らかの理由により現行のISO3602が不満であるのならば、今から慎重に準備 をととのえ、次の1999年の見直しのときにはISOに働きかけるべきである。国際的に これを支持し、国内で無視するという二面的態度は、国際の場における日本の信用に 大きく関わる問題である。 いま世界の多くの国ぐにでは、日本語を学び、かつ使う人びとの数が急増していて 、日本語はもはや日本人だけのものではなくなりつつある。近い将来において日本語 が多くの外国人の手によって書かれ、インターネットで世界を飛び交うようになって いくことは間違いないことであろう。そうした時にあって、こうした日本語のローマ 字表記の依然としての不統一、さらにそのどれにも当たらないばらばらの入力法商品 の存在が、またしても世界の人びとに、日本文化をだらしない、いいかげんなものと して印象づける可能性はおおいにある。企業の目的は利潤の追求にあるにしても、少 しは理念を持って商品の開発を考えていただきたいものである。 いまや小・中学校から情報処理教育が取り入れられだしたのであるから、先に述べ た子供用サイズのキーボードが日本語のローマ字表記を考慮した文字配列を載せたも のとして製造されれば、国語の学習においてもすぐさま活用でき、教育上の利益は計 り知れないものになることは明らかである。逆に、いつまでたってもいまのようなキ ーボードしかなく、しかも標準のローマ字つづりが使えず、変則的なつづりで入力し なければならないような入力ソフトの供給だけが続けば、すぐさまそれが教育にはね 返り、悪影響を及ぼすことは明らかであり、事実その傾向はもうすでに出はじめてい る。 その訓令式はヘボン式に比べて日本語の形態音素体系にさらに良く合ったものであ ることは明らかだが、それでもまだ妥協が多く、筆者個人としては日本語の最良の表 記法ではないと思っている。たとえば、はね音(撥音)の「ン」をナ行の``n"とは別に したり、つめ音(促音)の「ッ」を独立した文字で表わしたりすることをしていない。 そのほか、日本語のいわゆる長母音、実はひき音(延音)は、かなでもローマ字でもい ろいろに書き分けられているが、これも最近明らかにされてきた、日本語の音韻構造 を十分に反映したものとはなっていないからである。したがって、そのような点を言 語学的に理にかなえたものとした日本語のローマ字表記方式がかつて提案されたこと もある。 ちなみにつづり方は今のままでも、日本文をローマ字変換で入力するときに、たと えばQwerty配列なら、「ン」を``x"で、「ッ」を``c"あるいは``q"で、さらに長音記 号の``ˆ"を``v"で入力するようなモード設定ができるソフトを書けば、入力作 業自体ももっと理にかなったものになるであろう。 8. 国際的視野 それにしても、内閣の訓令によってできるだけ速かにヘボン式から訓令式に改める ように指示されているにもかかわらず、40年ものあいだ、各省庁も、また国立大学も 依然としてヘボン式を使いつづけている。その上、訓令式が国際的なISOの標準とな ったあとも、そのことについては、新聞を含めて、どこでもまったく取りあげること なく、沈黙を守り続けている。まさにアメリカやイギリスへの一辺倒である知識人に よる「沈黙の共同謀議(silent conspiracy)」と言えるであろう。そればかりか一方 的に英語圏に気がねをして、いわゆるヘボン式で書くことによって、かえって優越感 を覚える人たちがかなりあることも、中国から受け入れた漢字を使って文章を書くこ とに優越感を持ったかつての日本人たちの精神構造を、またもやそっくりそのまま繰 り返しているようである。 国の標準であり、かつISOの規格にもなった表記法であるのだから、今後訓令式を 普及させるための国の政策を明確にするとともに、長らくヘボン式が流布してきたこ ともあるから、期間を切ってしばらくは、たとえば「伏見」のつづりは、初出の時に ``Husimi(Fushimi)"と、訓令式を第一にし、ヘボン式を添えて書くという書き方の実 行を強力に推し進めるべきである。 日本語のローマ字つづりに関して、そうした混乱が放置されているものだから、ワ ープロのローマ字入力方式においても標準的入力法がなく、たとえば「ン」を「n」 で入れたり「nn」で入れたりする差異をはじめとして、いろいろな点で異機種間の互 換性がないことが多く、異機種を使い分ける必要のある使用者の入力技能に対しては 、またしてもそれが重い負荷をかけることになっている(詳しくは戸田・吉村 1992[3 5]参照)。これでは一般教育用として、とても正規には使えない。 国語の表記にあたって、国内や国際舞台における歴史的いきさつも、また言語学的 理由もそうして無視し、ほかの規格の標準化では国際的に活躍している専門家までも を含め、まだ妥協を残すものとは言え、日本人自体が、日本語の形態音素構造に基づ いて出された、自国の学者の結論の選んだ標準を尊ばず、英語圏のみにおもねたヘボ ン式を依然として使い、あるいは各社が自己流のつづりをローマ字入力に使って混乱 の継続を助けていることは、国際的な専門家の世界において日本人の主体性のなさを さらけ出すことになっているのはもちろん、客観的に広く世界を見れば、アメリカや イギリス圏の大衆に向けていい顔ができると思い込んでいるだけであって、日本の得 になることはあまりないことだと思う(Yano 1993[48])。それには、かつての植民地 において、被支配者たちの中の首長たちが支配者たちに対して抱いていた、屈曲した 心理状態を思わせるものがある。 特に、本来は日本の利益を国外に対して代弁するべき立場にあるはずなのに、筆頭 になってヘボン式に執着し、しかもいまになってヘボン式から訓令式に切り換えるの は、コンピュータによる情報処理に混乱を招くといった、情報処理技術を見くびった 公式見解を示しているわが国の外務省の態度は、日本文化の軽視以外のなにものでも ない。一事が万事、そんな心がけだから、たとえば世界保健機関の問いかけに応える のにも、アメリカなどの大国に気兼ねし、核兵器の使用は国際法違反にならないとい った、われわれ国民の常識を平然と裏切り、感情を逆なでするような陳述書の秘密草 案などを、依然として同じ外務省が書き(日本経済新聞 1994[15])、また国連では核 兵器の違法性を問う決議に反対する動議に加担し、最終的には決議の投票において棄 権する(朝日新聞 1994[3])というようなことが起こり続けるのだろうと思う。 われわれは、精神的にもっと自立すべき時ではないだろうか。 * * * 以上は日本人が主体性を持ち、ことの原点に立ち返って日本文化と日本文入力の問 題を考えればこうなるであろうという帰結の論述を試みたものである。 しかし、ひるがえってみれば、かつて圧倒的に優勢なシナ文化の伝来があって以来 、日本文化は主体性の弱い、なんとなくいじけたものに終始してきたようであるから 、いまさら主体性を持ってどうするこうすると言ってみても始まらないのかもしれな い。おそらくは将来も、このままずるずると現状が続き、21世紀の日本はいろいろな 点で次第に影が薄くなり、世界の中の一小国として、ひっそりと息づいて行くことに なるというのが、もっとも確からしい日本の運命なのであろうか。それでも、もしそ れが日本の選択であるのなら、それはそれで良いのであろうか。 謝 辞 本稿を草稿の段階でお読みになるなどして、改善についてご意見を下さった、学術 情報センターの橋爪宏達助教授、東京大学の石田晴久教授、IBMトーマス・ワトソン 研究所のJohn Karat氏、埼玉短期大学の加藤浩治助教授、国際科学技術学院理事の喜 安善一博士、NTT基礎研究所の岡留剛博士、国際日本文化研究センターの小野芳彦助 教授、いまは名古屋大学から引退されておられる大磯ひでお教授、慶応義塾大学の大 岩元教授、ローマ字教育家の鈴木喜代栄氏、東京理科大学の清水忠雄教授、(株)リッ プスの竜岡博氏、お茶の水女子大学の冨樫雅文博士、メリランド大学のJ. Marshall Unger教授、創価大学の渡辺和教授の方がた(アルファベット順)、それにたびたび書 き改めた草稿をその都度タイプして下さった白石香織さんに、ここで厚い感謝の意を 表わしておきたい。 REFERENCES/NOTES [1] AAS, ``The Ideographic Myth and Its Impact on Asian Studies I&II, Sessio ns 97&117",47th Annual Meeting of the Association for Asian Studies, Washing ton D. C., April 6-9, 1995. [2] 新井美穂, 志柿里美, 「3(インチを)÷4(段に分けたキーボードの)×3(段分に) ÷4(段つめた)=(縦方向が)9/16(インチのキーピッチのキーボード)」,お茶の水女子 大学理学部情報科学科, 1995年3月, (卒業論文). [3] 朝日新聞, 「核兵器違法性問う国連決議, 反対動議に日本賛成」, 1994年12月16 日, [4] Cleamide, B., ``Risk of social polarization in new production systems",I ssue Workbook, Hamburg, Germany, August 28-September 2, 1994, 13th World Com puter Congress, IFIP Congress '94, pp.47-52. [5] 電子協, 「日本語入力方式技術研究会の調査 運営方針」,(社)日本電子工業振興 協会, 1p, 1994年. [6] Erbaugh, M., ``Ideograph as `other' in post-structuralist literary theor y",to be delivered at AAS, 1995. [7] Hirai, Tomio, ``Psychology of Zen",Igaku Shoin, 1974. [8] Horodeck, R. A., ``The Role of Sound in Reading and Writing Kanji",Corne ll University, 1987, (Ph. 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A.1 はじめに キーボードの過度の使用によって労働障害が起こったとして、PL(製造物責任)法に よる損害賠償の請求の訴えが、アメリカ各地の法廷にすでに数多く提出されている。 おそらくその最初の裁判がミネソタ州のダコタ区地方裁判所(Dacota District Cou rt)でスパイサー(Richard Spicer)判事を裁判長として、1994年末に始まった。双方 の弁護士たちによる論点調査(discovery proceedings)による供述書作成(deposition )を経たあと、陪審員の選出を終え、実際の法廷審議は1995年1月に始まり、裁判は約 9週間かかって3月始めに結審し、陪審員の評決によって3月9日に判決が出た。 速記機器が発達し、またタイプ入力の早いアメリカのことであるから、裁判におけ る一言一句が忠実に記録された、何十分冊かに及ぶ文書が、すでに印刷されて公開さ れ、高価ではあるが一般にも購入可能になっている。 しかし、そうした記録は裁判の成り行きを明らかにすることを目的とした、法律の 解釈や運用が優先したものであり、キーボードに関わる技術的な議論は必ずしも分か りやすい形で出て来ていない。 それで本稿では、裁判における審議のうち、技術的な内容に関心を持っている者の 立ち場から、この裁判で表明された議論を追ってみる。ただし、これはある一科学者 による供述を基にしてまとめたものであるし、また筆者は、提出された証拠書類など も参考にしていないから、細部においては必ずしも正確なものとなっていない恐れが 十分にある。しかも筆者は法律についてのしろうとである。したがって、本稿は裁判 の技術的内容を大雑把に掴むためだけの参考に供するものであり、裁判の全体を正確 に把握するためには、あくまでも公式記録を参照すべきである。 なお日本と異なり、アメリカの裁判では製造業者側の手持ちの証拠や情報の公開が 制度化しているから、逆に相手がとうてい処理しきれないほど大量の情報を開示する ことによって、相手側が必要とする情報を容易に抽出できないようにするなどの駆け 引きが、裁判で用いられることのあることも、アメリカの裁判を見るときに注意すべ きことの一つであろう。本件の裁判の進行における被告側の対応にも、いささかその 臭いがするようである。 A.2 論点 アメリカ政府の統計によると、手の使い過ぎによる異常症状や障害を訴えた人たち の数は、1980年代から1990年代にかけての10年間に約10倍になっており、しかもその 大半が、タイプライタ、ワープロ、キャッシュレジスタなどの、キーボードの使い過 ぎによるとされている。 そうした人たちの中で、これらキーボード付きの機器のメーカーを相手に損害賠償 を求めて、連邦や州政府の裁判所に裁判の要請を出した者の数が、今日では2000人を 越え、件数にしても200を越えている。 そうした状況の中にあって、ニューヨーク市にある弁護士事務所Levy, Phillips a nd Koenigsberg在籍の、かつてアスベスト粉塵の吸い込みによるとする健康障害に関 する集合代表訴訟(class action suit)に勝訴して一躍名を挙げた、弁護士Steven J. Phillipsが、新聞などに広告を出して、キーボードの使用によって障害が出たとす る者を探し出して原告となし、かれらの要求を代表してニューヨーク州における集合 代表訴訟に持ち込もうとした。 その試みは今のところまだ障害の因果関係の証拠が不十分として、成功していない が、その手始めの個別民事訴訟として、彼はミネソタ州、Eagan市の女性、Nancy Urb anskiを原告(plaintiff)に選んだ。 原告の訴えによると、彼女は1989年から1991年にかけてIBM社およびアップル・コ ンピュータ社のパソコンなどを使って仕事をしていた、もと高校の秘書(現在30歳)で あり、作業の結果として、手の甲から手首にかけての筋の鞘が炎症(carpal tunnel s yndrome)などをおこし、苦痛がひどく、手を使う仕事が全くできなくなった。 原告はこれが明らかにキーボードの使い過ぎによるものであるとし、IBM社および アップル・コンピュータ社が、キーボードの使い過ぎにそうした危険のあることを明 示しないまま製品を販売したということを取り上げ、製造物責任(PL)法に基づいて、 損害賠償を求める民事訴訟をおこしたのである。 これを受けてたった被告(defendant)IBM社は、強大な組織と膨大な専属弁護団を活 用して、きわめて巧みな弁護を展開したようである。その論点とするところは、IBM 社はむかしから人間工学研究所(Human Factors Center)を持ち、キーボードを含めた 、人間工学に関する広範囲な研究を続けてきており、また組織的に収集・保存してい る研究論文などの文書も数千点に及んでいるにもかかわらず、キーボードの使用と、 carpal tunnel syndromeを含む、一般にR.S.I.(repetitive stress injuries)と呼ば れる労働障害との因果関係は、いまだかつて立証されたことがない、という主張であ った。 日本のPL法には盛り込まれなかった、ある製品を通常に使っていて被害が生じた場 合には製品に欠陥があったとみなすという「推定規定」が、アメリカの法律ではどう なっているのかを、筆者は知らないが、仮りに明文化されていたとしても、carpal t unnel syndromeのような因果関係が複雑なものでは、その立証が裁判の山になること は間違いないようである。 A.3 法廷での審議 IBM社が主張を開陳するにあたって喚問した証人の中には、当然ながらキーボード の専門家が含まれていた。その一人は、かつて長らく同社のHuman Factors Centerの 所長の任にあり、現在は引退して独立したコンサルタントとなっているRichard S. H irsch博士(心理学出身)であり、もう一人はヴァージニア工科大学(Virginia Polytec hnic Institute)における人間工学の専門家であり、特にキーボード作業に詳しいと される, Harry Snyder教授(心理学出身)であった。 スナイダー教授の証言の要旨は、キーボード作業とcarpal tunnel syndromeとの因 果関係は、いまだ科学的に証明されていない、というに尽きた。 それとならんで、ハーシ博士の証言は、きわめて綿密に準備された、3日間に及ぶ 供述であり、そのうちの1日は、スライド約120枚を準備した、陪審員たちに対する、 IBM社のHuman Factors Centerの人間工学研究に関する啓発講義とも呼べる、よく整 理され、かつ興味深いものであった。 それに対して原告側のPhillipsを長とする弁護士団が法廷でとった方略は、あまり 上手であったとは言えないもののようであった。 もともと彼を有名にした、Johns-Manville社に対するアスベスト粉塵公害に関する 集合代表訴訟に置いて彼が勝訴することができたのは、同社がアスベスト粉塵が健康 に有害なのを知りつつ、それを隠す指示を社内で出していた文書が、会社の文書ファ イルから見つかったことが、会社側の責任を決定的にしたからである。 それに比べて、carpal tunnel syndromeをはじめ、R.S.I.がキーボードの使用に起 因するということの医学的因果関係を立証することがずっと複雑な、今回の訴訟に臨 むにあたって、原告側の準備や調査、さらには法廷対策はかなり不十分であったらし い。おそらくアスベスト裁判において完全勝訴し、かつそれによって個人的にも何百 万ドルにも及ぶ収入を得たことから出た、Phillipsの驕りがあったものと思われる。 アメリカの裁判では、刑事訴訟、民事訴訟にかかわらず、被告側の責任が完全に立 証されず、疑いの余地が残っている場合には、被告は有罪とならない。さらに、そう した結論を出す立ち場に立っているのは、日本と違って、一般市民から無作為に抽出 された12名の陪審員である。したがって、法廷における争いは、原告側・被告側とも 、しばしば本質的な技術論を離れ、陪審員の心証を有利に展開することに方略・策略 の重点が置かれる。こうした点についても、原告側には準備の悪さと詰めの甘さが見 られたようである。 もともとPhillipsはニューヨーク州の弁護士である。アメリカでは州によって法律 が異なることが多いから、ミネソタ州での裁判には、彼はミネソタ州の弁護士事務所 を雇って裁判の準備を整えなくてはならない。しかし、おそらく地方ではキーボード に関する専門家が少ないことがあって、雇われた弁護士事務所では、専門的、技術的 な調査には十分手がまわらなかったもののようである。 A.4 原告側の技術的証言 たとえば、原告側が証人として喚問したのは、第2次大戦後にドイツのマックス・ プランク研究所に所属していたとき、中央部から外側に向けて下がった形の、山形を したキーボードに関するドイツ特許を取得し、その後アメリカに渡り、そこで実験研 究を行なったK. H. Eberhard Kroemer教授である。 いま肘から下、両腕をまっすぐ前に水平に出すとき、親指側が上がるように、両手 のひらを「ハ」の字型に中高にすれば、腕の筋肉に対する捩れが最も少なくなるから 、キーボードも中央の高い形に作れば、腕に対する負担が軽くなることが第2次大戦 前から知られていた。クレーマー教授はそうして合理的化されたキーボードの提案を 実現してみせた実験的研究者であるが、現在普及している形のキーボードは欠陥があ るもの(defective)だという彼の日ごろの主張も、必ずしもキーボード研究の全体を 広く見渡して得た深い洞察によったものではなかったようで、法廷で被告側の反対尋 問にあうと、キーボードに関する彼の理念や理論の浅さ、果ては主張の根拠の薄弱さ が暴露されてしまったようである。 その上、被告側の弁護士は、彼の実験についての論文を詳しく調べてあり、そのい くつかの版のあいだで被験者の数の記述などにくい違いがあることを執拗に指摘する という、キーボードに関する本質的な技術論を離れた、しかし典型的な法廷術策を用 いて、陪審員たちの心証を悪くすることに勉めたもようである。 さらに、キーボード障害に関する原告側の第2の証人は、疫学者(epidemiologist) であり、かつ原告の担当医師の一人であるPunette某教授であったが、彼にとって原 告ただ1人が、いままでに直接受け持った、carpal tunnel syndromeを持った患者で あり、その証言は主としてこの患者の観察に基ずいたものであった。したがって、彼 女の証言の大半の部分は、実は他の医師の論文を読んだ上での伝聞(hearsay)に過ぎ ないものだということが、被告側弁護人の巧みな反対尋問によって、陪審員に強く印 象づけられてしまう結果となったという。 原告側は、かつて原告を患者としてみたことのある男性医師もう一人を証人として 喚問したが、被告側弁護士の反対尋問において、彼もやはりPunette教授と同じよう に扱われてしまったらしい。 A.5 被告側の反対陳述 原告側の証言のこうした弱体さや、また法廷でとった方策のまずさに比べて、被告 側の証人として法廷で陳述をした一人は、先に述べたスナイダー教授であった。彼は アメリカの国家標準局(American National Standards Institue, ANSI)において、デ ィスプレイ付きワークステーションに関する作業部会の委員長を務めており、その専 門はキーボードよりもむしろ視覚関係のほうであるが、キーボードの専門家としてた くみに断定的な反対証言をなし、その肩書きと相まって、陪審員にはかなり強い心証 を与えたという。 しかし証言の内容には、たとえば手のR.S.I.などとは関係のない、眼球内でのレン ズ面の反射による光像の効果(Purkinje効果)と眼の疲れに関することなどを織り込ん だものを、IBM社関係の証人と組んで巧みに行なうなどして、陪審員に対するかなり の煙幕効果を果たしたもようである。こうした術策に対して原告側は、準備不足、技 術的理解不足で、十分な反対尋問を行なえなかったという。 被告IBM社側の証人として陳述をしたハーシ博士は、現在は隠退し、法律的には独 立したコンサルタントをしているものの、長い年月IBM社の社員であり、Human Facto rs Centerの所長を長らく務めた人物である以上、IBM社に対してひいきの心情を持っ ていることは明らかであろう。 すでに述べたように、彼の陳述はスライドを120枚ほど準備し、人間工学に関するI BM社の研究活動を陪審員に対して強く印象づけるべく、よく構成された、丸一日をか けた講義と言えるべきものであった。その内容は、製品を人間工学的にいかによく考 慮されたものにするかについて、同社がどれだけ努力を払っているかを、しろうとに もよく分かり、しかも興味を持てる話しとしてまとめてあった。 陳述が進むにつれ、その内容についての陪審員たちの関心が高まり、IBM社に対す る好感が高まるさまが顕わになっていくさまを見て、原告側の弁護士は憂慮を深め、 スライドが約100枚ほどに進んだころで、陳述の内容が裁判に対して筋違い(irreleva nt)であると抗議してその中止を求め、裁判長によって認められた。 これは法廷における手続きとしては正しかったわけであるが、せっかく高まった陪 審員たちの関心を中断させたために、かえって陪審員たちの反感を買うことになって しまい、方略としては失敗であったという。技術面における原告側の準備がもし万全 であったならば、あとに述べるように、ここではむしろ積極的な反対尋問によって、 これらの供述をかなり切り返すことは可能であったであろう。 A.6 裁判の結果 以上で述べたように、本裁判においては、原告側弁護士の不勉強や、準備不足がそ の成り行きを大きく左右したことは明らかである。 その上、訴訟を起こすための原告として、Phillipsはかなり不適切な者を原告とし て選んだものと思う。 裁判の進行とともに明らかになったのだが、carpal tunnel syndromeなどを示して いる原告は、30歳ほどの女性であるが、彼女は若いときから、よくバレーボールをし てきたらしい。しかもこれまでに2度も自動車事故に遭い、指圧治療(chiropractic) なども受けている。 過度のバレーボール運動が、体質によってはcarpal tunnel syndromeを起こすこと は知られている。これに加えて、自動車事故による悪影響も、疑わしいとはいえ全く 否定はできない。これでは、法律の要求している、carpal tunnel syndromeが疑いも なくキーボード作業の結果である、という因果関係を完全に立証することがむずかし くなるであろう。 それに加えて、キーボードに関する研究についても、原告側の弁護士には技術的な 理解が少なく、被告側の一方的とも言える陳述に対して、反論できるだけの知見を持 ち合わせず、またその努力もしなかったという。 それでいて、8週間にわたった裁判のうち、原告側がほぼその4分の3を費やしたし 、また8時間にわたった最終弁論(closing arguments)においても、原告側はやはりそ の4分の3を費やしている。そんなにもたもたしていたのでは、このような原告の場合 に、キーボード作業とcarpal tunnel syndromeなどとのあいだに、決定的な因果関係 があることを陪審員に信じさせることは、心理的にかなりむずかしいものになるであ ろう。 結審にあたり12人の陪審員たちは、評決に至るガイドとする、8ページにわたる書 式を与えられ、それにしたがって一歩一歩自分の判断を書き入れていくことにより、 最終的な評決に到達するようになっている。 また、もし陪審員たちが6時間以内に評決に到達したときには、その評決は全員一 致によるものでなければならない規定になっている。しかし評決はわずか4時間足ら ずで出されてしまった。しかも、論点になっている因果関係にもし疑いのあるときに は、その責任のパーセント量を示すように裁判長から指示されていたのであるが、陪 審員によるその評価の平均値が、ほぼ0パーセントという、原告側にとって完全な敗 北評決となった。 そのため、Phillipsがなぜそんなに疑惑を招きそうな原告を選び、しかも準備不十 分なままで裁判に臨んだのかということが、法廷の外で話題となったようである。そ れに対して、Phillipsの雇ったミネソタ州の弁護士事務所の弁護士の一人が、実は裁 判長のゴルフ友達であり、しかも裁判長はこの弁護士の兄弟(brother)によって任命 された者であったので、裁判が原告に有利に展開すると読んでいたからではないかと いう話しがあったそうである。 A.7 アップル社に対する訴訟の成り行き 原告UrbanskiはIBM社のほかに、アップル社をも同時に相手にした訴訟を起こした ということを第2節で述べておいた。したがって本訴訟は初めは2社に対するものであ った。しかしながらアップル社の場合には、裁判が進展するにつれて不利な証拠が出 てきたために、2月24日裁判の途中で原告と和解し、原告はアップル社に対する訴訟 を取り下げてしまった。それは以下に述べるような事情によるものであった。 アップル社は新しい技術の開発にきわめて積極的な企業であり、キーボードに対し ても例外ではない。それでキーボードの使い過ぎによる労働障害が話題になりだすと 、いち早く現在の標準的なキーボードよりも合理化された形のキーボードを開発して 商品化した。すなわち、キーボードが真中から左右に割れて、上端中央を軸として、 下端が左右に開き、キーのタテのコラムが「ハ」の字型に自由に調節できる製品であ る。 そうしたアィデア自体は古くからあり、また実験的試作品もいくつか作られたので あるが、その一つを新製品として宣伝するにあたってアップル社は、いままでのキー ボードがいかに不完全で欠陥があり、それに対してこの新しいキーボードがいかに勝 れているかを述べた文書を作成した。さらにこれをテレビ広告によって宣伝すべく、 同様の趣旨に沿った台本がアップル社によって書かれていた。ところが、こうした文 書を含む約40点に及ぶ資料が、カリフォルニア州クーパティーノ市にあるアップル社 が雇った、ニューヨーク州バッファロ市のSaperston and Day弁護士事務所から、裁 判まえのdiscovery proceedings期間中に原告側に渡されていなかったことが明らか になったのである。その中にはアップル社が自社員に対して出した、キーボードの使 い過ぎがR.S.I.を起こす可能性についての警告文が含まれていたようである。そして この警告文は原告側によって被告アップル社が従来のキーボードに欠陥があることを 知っていた証拠として提出されることになってしまった。 そうした手続き上の失策がこの裁判では裏目に出たのである。すなわち、法律上こ れらの文書は、前世紀以来使われてきた、現在の標準型キーボードに欠陥があること をアップル社が認めていた上に、それを故意に隠していたという論拠になるからであ る。 日本のPL法に盛られている、製品の開発時の技術レベルでは認識されていなくて後 になって明らかになったような場合の、製品の欠陥に対する免責規定である「開発危 険の抗弁」が、アメリカのPL法では認められていないから、このように過去の製品に 欠陥があることを認めれば、同時にそれに対する賠償責任がアメリカでは法律上生じ てしまうということになる。それ故、アップル社は裁判において一挙に不利な立ち場 に立たされ、その結果和解に踏み切ったということであった。 かねてから筆者は、キーボードの使い過ぎによる労働障害の問題の解決がPL法に委 ねられるということが起こりつつあるということについて、いささか懸念の感を抱い ていた。それは、キーボードの改善ということは、人間工学を筆頭とする、科学的、 技術的な問題であるのに対して、PL法訴訟の目的は労働障害の出現したことに対する 責任追及と補償の獲得の問題であり、当然ながらこの二者の目標がかなり異なるから である。 果たせるかな、より良いと思われるキーボードを開発・商品化し普及させようとし ていたがために、アップル社はこの裁判における法律運用上の技術的手続(technical ity)によって、キーボード自体の良否に関する技術的検討を経ないまま、和解を強い られることになってしまった。これではキーボードの製造者として、真に優れたキー ボードの開発を試みること自体が自殺行為につながりやすいことを意味することにな ってしまう。 ただし、上述のようにIBM社が勝訴したことにより、アップル社の和解は今後転覆( overturn)される可能性が出てきたとのことであった。どちらにしても今度の裁判の 結果は、今後新しいキーボードの研究を実施することに対して、かなりのブレーキを かけることにつながることは間違いない。 A.8 裁判で審議されなかった本質的な技術問題 すでに述べたように、PL裁判の目標はキーボードの科学的な改善ではない。しかし ながら本裁判の法廷審議の中には、原告側にもう少しの技術的能力と周到な下準備と があったならば、過去におけるキーボードの改善研究の成果を有効に利用して反論で きる場面がいくつかあったと思われる。 その全貌に触れるためには、そのまえに裁判の記録を綿密に調べる必要があるし、 またその規模は本稿の目的を逸脱するものになることは明らかである。したがって本 稿では、筆者の聞き及んだことから推測できることの一部について、簡単に述べるに 留めることとする。 被告IBM社側の証人として出廷したHuman Factors Centerのもとの所長ハーシ博士 は、スライドを用いた1日がかりの証言の中で、いかにIBMが製品の人間工学的洗練に 努力をしているかを、陪審員に印象づけた。その陳述はよく準備され、しろうとには かなり印象の強いものであったようである。研究面でのIBM社の努力には確かにりっ ぱなものがあり、ハーシ博士の陳述に全く偽りはなかったであろう。 しかし、その内容の多くは、キーボードそのものの改善には直接関係のない研究に ついてであって、その意図したところは、むしろ陪審員たちを感服させ、IBM社に対 する好感を持たせる努力であったものと推定される。そのことは、陳述が終わりに近 ずき、陪審員の共感が高まるのがたまらないと感じたであろう原告側弁護士が、つい に裁判長に対して、陳述の続行に反対動議を提出し、しかもあっさりと受理されたこ とからも推定される。 しかし原告側弁護士のここでの最大の失敗は、そうした被告側の煙幕策略に押しま くられたこと自体にあるのではない。むしろそうした雪崩のように押し出される、豊 かな供述の中に埋もれていた、被告側のアキレス腱を見逃したことにある。 キーボードに関する研究をひもといたことのある研究者ならよく知っていることで あるが、現在の標準文字配列の、いわゆるQwertyキーボードに比べて、1930年代にワ シントン州立大学の教育心理学のドボラク(August Dvorak)教授が提案し、1983年以 来ANSIの代替(alternate)標準配列になっている、いわゆるドボラク配列のキーボー ドを用いれば、英文タイプの場合、内輪に見積もっても、指の運動量がQwerty配列を 用いるときの半分以下になる。carpal tunnel syndromeのような症状は、指の運動量 が多いほど出やすくなるであろうから、症状発現の可能性の軽減に対して、これは相 当に効果があることと思われる。 したがって、もし原告側が被告側の責任のありかを探るとすれば、IBM社がどれだ けドボラク配列、あるいは類似の線に沿ってキーボード使用の負担を軽減する可能性 を、技術的に追求してきたかを明らかにすることにあったと思う。そうした研究は、 設備も研究費も乏しい、筆者の研究室においてさえ、すでに15年以上もまえに試みて 、それなりの論文にまとめてあるのである。 A.9 文字配列による改善 さらにドボラク配列では、作業に用いる指から指への遷移が上記のように合理化さ れるので、タイプ速度も15パーセントから20パーセントほど上昇することが推測でき 、事実、数は少ないながら、ドボラク配列のキーボードを実際に使っている人たちは 、もっと高い速度上昇率が出ることを述べている。またかれらは、ドボラク配列を用 いれば、一日中入力作業を行なったあとの疲労感が格段に少なくなることも述べてい る。 しかるに、世の中でドボラク配列を使いこなしているタイピストは数が決定的に少 ないために、そうした研究の被験者を確保することがなかなかむずかしい。したがっ てタイプ作業を研究している人たちは、著名な実験心理学者R. Kinkead教授などを含 めて、一般にはQwertyタイピストの作業について測定して得たデータを基にして、他 を推定しているに過ぎない。にもかかわらず、そうした研究者が別の研究によって著 名であるがために、その推定が示す、ドボラク配列によっても入力速度がほとんど増 加しないという、1970年代までに出された議論が世に流布し、いまに至るまで広く信 じられている。 筆者の研究室では、これら2者の配列におけるこうした理論的推定と実経験とのあ いだに見られる性能の格差に関心を持ち、経費の関係でただ一人の被験者ではあった が、Qwerty上の熟練タイピストの入力作業についてとった実測データを詳しく分析し 、1980年ごろ、この格差の原因と思われるものを突きとめることができた。 それは分かってしまえば簡単なことであって、人間はタイプするときに、できるだ けリズム感を作り出そうとする無意識の努力を働かせているために、キーからキーへ の指の作業の遷移の多くが打ちにくいもので占められているQwerty上では、それに引 っ張られて、打ち易い遷移のほうも遅くなることが起こっているということである。 したがってそうした打ち易い遷移が大方を占めるドボラク配列上での作業速度を、こ うしたQwerty上でとったデータと同じであるとしてドボラク配列の能力を推定したの では、そうした打ちやすい遷移速度にペナルティを課してしまい、始めからドボラク 配列上で訓練を受け、作業を行なっている者の作業速度を反映することができないと いうことになる。 アメリカでは``practice makes perfect"という表現がよく使われるが、この場合 にはそれが当てはまらなく、むしろHector Hammerlyの言うように、単に``practice makes permanent"となり、それがかえって不利に働いているのである。 別に簡単な比喩を用いてこれを説明すると、スラローム(回転滑降)用スキーの性能 を評価するのに、同じスキーはスキーでも、日ごろジャンプ・スキーをはいてジャン プを専門に行なっているスキーヤーに頼んだのでは、真の評価が得られないのと似て いると言えよう。 A.10 IBM社とドボラク配列 IBM社のHuman Factors Centerでも、常時あれこれとキーボード作業の評価を行な ってきているが、それはいつもQwerty配列をもとにしたものであって、ドボラク配列 のキーボードを用い、正面切ってこれと取り組んだことはないはずである。そしてそ れはIBM社の大きな方針に沿ったものである。 IBM社も昔からドボラク配列のタイプライタを受注生産してきたのは事実である。 しかしそのことはできるだけ公表を避けてきたのもまた事実であって、かつて筆者が 入力問題の研究にあたっていたころ、IBM社からドボラク配列のタイプライタが入手 可能だとの噂を聞いて、あちこちのIBM営業所に問い合わせたが全く手がかりがなく 、最後にタイプライタ生産部門に直接問い合わせて、やっとそれを確かめることがで きた。 ドボラク配列の長所はまだ万人によって認められているとは言えないにしろ、その 可能性についてはかなりの数の研究論文がすでにに公表されている。したがって、上 記のような方針に沿ったIBMの研究は、欠陥があるもの(defective)だとまでは言えな いにしても、少なくともまだ不完全(incomplete)なままに留まっているとは言っても よいであろう。 今度の裁判における被告側の証人ハーシ博士の陳述の中には、このドボラク配列に 対する言及がなされていたにもかかわらず、原告側の弁護士はその意味するところを 的確に捕らえ、そこから問題の技術的核心に迫るということをしなかったばかりか、 IBM Human Factors Centerに関するハーシ博士の全陳述の中のどの機会に置いても、 専門家と十分に相談した上での反対尋問を行なう権利を全く放棄してしまっていたよ うである。 そうした原告側の準備不足は、単に裁判の結果に大きな影響を与えたばかりでなく 、結果的には、せっかく開きかけていた、人に優しく合理的なキーボードの開発や普 及に向けての、新しい前進の道をこの裁判によって閉ざす結果をもたらしたのではな いかという点で、誠に残念なことに思われる。 キーボードの良し悪しのように、個人差の大きい人間、しかも技能に熟練した人間 が関わっている作業についての実験にあたっては、長期間にわたって協力が得られ、 しかもまだ特定の機種についての技能の型にはまっていない被験者を相当数確保し、 かつ多様な実験機種と各種のデータの測定機器システムを準備する必要があるから、 その実行には人力、時間、経費などがかさみ、そう安易に着手できる性質のものでは ない。それ故、たとい理想からは遠いQwerty 配列のようなものにしても、すでにそ れが社会に根を深く下ろしている以上、特に他の道をとる必要が起こらない限り、い かなる製造業者であっても、現状維持の商略をとるのが好ましいと考えるのは驚くに あたらない。したがって、過去において筆者などが、始めからドボラク配列によって 訓練を受けたタイピストを集めて、キーボード入力作業に関するデータを採ることを 提案して来たにもかかわらず、IBM社を含め、それを実行する研究陣がいままで現れ なかったのも、仕方のないこととは言えるであろう。 A.11 基礎研究の薦め しかし、いったんその必要に迫られれば、そうしたチャレンジを受けて立つだけの 研究能力・意欲・資金力を、たとえばIBM社などが持っていることは明らかである。 キーボードに関して似たような前例を探すと、具体的にはすでに次のようなものが ある。 キーボードの使用が急速に多くなっているヨーロッパにおいても、キーボードの過 度の使用が原因とされる労働障害がかなり前から問題にされだした。労働組合の力の 強いヨーロッパにあっては、早速これに対していろいろと対策がとられた。その一つ として、キーボードはホーム段(下から2段目)のキーの、机の面からの高さが3センチ 以下でなければならないという規格が作られた。ここではその経緯の詳しいことに立 ち入れないが、この規格を作るのに主導的な役割を果たしたのはベルリン大学で獣医 学が専門のArbruster某教授と、その弟子で、いまは照明技師となったCarik某とであ った。 ヨーロッパに大きな市場を持つIBM社では、この規格の導入を肯じられないものと し、Human Factors Centerを中心に、巨額の研究費を投じて実験を繰り返して、つい にキーボードの最適操作のためには、この3センチという高さが低すぎることを実証 して見せたのである。現在IBM社の販売しているキーボードの後側には折り畳み式の 補助の足がついていて、ヨーロッパの規格を満たしつつ、しかも後端を高くすること もできるようになっている設計は、こうして生まれた。これは日本のメーカーによっ ても、広くまねられている。 なおヨーロッパでは端末機のディスプレィのスクリーンについても、表示のコント ラストが高すぎると、まえに述べたPurkinje効果のために眼の焦点がしばしば変わる ことが起こり、眼精疲労を招くとし、スクリーンの仕様に対して、やはりある種の規 格が導入されている。これに対してもIBM社は、実験設備と人力にそれぞれ膨大な経 費と時間をかけて基礎研究を行ない、この規格が適切でないことを証明している。 同様の見地から、かなりの経費をかけてIBM社は、Qwertyキーボードの入力操作に 関するデータを集めてその作業のモデル化を試み、それによってドボラク配列の優位 性に対する否定的な結論を示している。さらに、オレゴン大学においてBradley J. L essleyによって書かれた、Qwertyからドボラク配列へのタイピストの再教育に関する 研究を述べた博士論文の知見に対しても、この裁判においてハーシ博士は批判的な証 言をしている。 しかしながら、すでに何回となく述べたように、この種の研究は規模と経費とがか なり大がかりなものとなり、大学などではおいそれと実行できる性質のものではない 。したがって、Qwerty配列キーボードで集めたデータではドボラク配列の十分な評価 ができないであろうことが指摘されているいま、いろいろな意味でこうした研究が実 行できるだけの資金力を持つIBM社などが、ふたたび原点に立ち戻って、ドボラク配 列などの研究を、今後ぜひ実現していただけたらと思う。 A.12 今後の裁判の予定とその意義 かくしてミネソタ州におけるIBM社に対する訴訟は、原告側の完全敗北に終わった 。しかしPhillipsは、若いながらもかつてアスベスト公害に関する集合代表訴訟を起 こして完全勝訴を果たし、その結果として被告側のJohns-Manville社は、裁判後にも 新しく名乗りをあげてくるアスベスト病患者全てに対して補償する義務を負わされた 結果、ついに完全に破産するという実績を作ったほどの男である。その彼が、一度ぐ らいの敗訴によって、そうやすやすと引っ込むはずがないことは、ただちに予想でき るであろう。 果たして彼はいま、ニューヨーク州のある大薬局で、IBM社のキーボードの付いた キャッシュレジスターを使っていたことにより、carpal tunnel syndromeが生じたと 主張する女性を原告として、NCR(ナショナル・キャッシュ・レジスター)社及びIBM社 に対する訴訟をニューヨーク州で起こし、現在裁判が進行中のようである。 しかしここでも彼の選んだ原告には問題がありそうである。というのは、彼女は身 長が約155センチほどであるのに、体重が約110キロという肥満体の持ち主だからであ る。 医学界においては、肥満体、妊娠中、および糖尿病などの状態の人たちはcarpal t unnel syndromeなどを起こしやすいことが常識となっている。したがって、ミネソタ 州における裁判が完全敗訴の前例を示したあとのことでもあり、彼女の場合にも、裁 判においてキーボードの使用と手に出た症状との因果関係が明確に断定できないとさ れる可能性は高い。 もし今後もしそうした疑問の多い原告を立てて裁判が繰りかえされ、否定的な結審 が続くようなことになると、先に述べたように、アップル社が和解を余儀なくされる ようになった経緯もあり、たとい経費をまかなえたにしても、もっと合理的なキーボ ードを開発しようとする科学的な研究には、キーボード製造業者は誰も手を出さなく なるであろう。 それにしても、そうした症状が出る危険な体質を持つ者があるにもかかわらず、キ ーボードの使い過ぎに対する危険性の警告をいままで明示して来なかったという事実 に対して、キーボード製造業者は道義的責任を問われてもよいように思われるかもし れない。しかしそれはそれで、また別の問題があるのである。 というのは、一般に人間はかなり暗示にかかりやすい性質を持っている。したがっ て、キーボードを使うとcarpal tunnel syndromeなどになる可能性があることを、あ まり強く警告すると、それが暗示となって働き、不必要に多くの人たちが、実際に症 状を顕す恐れが十分にあるのである。これは薬でも何でもない、たとえば砂糖のよう なものでも、それが薬であると信じて呑むと、本物の薬と同じような効果を示すとい う、偽薬(プラシーボ)効果というものの存在が、医学界では常識になっているのとは 同様の現象である。したがって、因果関係が確立されるまえに、その可能性の疑いに 基づいて、むやみにそうした警告を出すこと自体には問題があり、そうした警告はや はり十分注意して与えるべきものであるということになる。 そう考えると、今後より良いキーボードを開発するためには、こうした裁判の結果 に惑わされることなく、真に客観的な科学的基礎研究を地道に積み上げること以外に は、とるべき道はないように思われる。 A.13 持続的な科学的研究の重要性 しかしながら、それは言うには易く、行なうは実にむずかしいことである。それは 以下の一例をとってみても明らかである。 すでに1970年代にオーストラリアでは、キーボードの使いすぎによる労働障害をめ ぐっていくつかの裁判が行なわれ、原告側が勝訴し、損害補償が行なわれた。 それと同時に、そうした労働障害の再発を防止すべく、一人が一日に行なうキーボ ード作業の量を規制するべき努力がなされた。しかし、それは出来高による賃金を受 け取っているキーボード作業就業者の収入の低下に直接つながるものとして、手強い 反対に遭った。 その一方で、現行のキーボードの改良の必要性が広く認識されたにもかかわらず、 そのための客観的研究では、かなりの測定設備を用い、多数の被験者を長い期間拘束 しての実験が必要となり、膨大な経費を必要とするばかりか、たといそうした研究を 実行したとしても、キーボード障害に対してどれだけの改善が、どれだけの信頼性を 持って示せるものなのかが疑わしいとして、いままでの約20年間に何らの前進も見せ ていない。 また、相次いで多発する裁判を抑制する意図もあって、この種の訴訟における賠償 額に法的上限が導入されることが起こり、その結果、キーボード問題の真の解明を見 ないまま、裁判の煩雑さを嫌って、訴訟の数が減ってしまった。 その間の、コンピュータ関連技術の躍進的発展により、入力技術は大幅の進歩を見 せ、手書き文字認識による入力法にかなりの円熟が見られると同時に、IBM社のPerso nal Dictation Systemのように、かなり完成度の高い音声入力方式が実用化されてき ている。 しかし、ますます進む情報化社会にあって、それと同時に起こって来た大量情報の 一次入力の要求を満たすためには、いまのところまだキーボード入力にとって代わる 入力方式が存在しないばかりでなく、むしろキーボード入力の必要はかえって増大し つつある。 それと並行して、コンピュータを操作するために、命令語(command)をキーボード から入力するのに代わって、画面に表示されたプルダウンメニューやアイコンをマウ ス(ポインタ)で操作する方式がしばらく前に導入され、その使用における画像的直観 性のほうが、命令語の論理性よりも使いやすいがゆえに、最近は大幅に普及してきて いる。 しかしこのマウスの操作自体は、手に対して思ったよりも重い負担をかけるものら しく、マウスの操作によるcarpal tunnel syndromeなどがこのところ急増してきてい るらしいことなども、今よりも手に負担の軽い新しいキーボードの開発の可能性など を含めて、さらに人間に優しい入力法式の研究の必要性を示唆しているようである。 にもかかわらず、それが人間という複雑な存在に対してのインタフェースであるが ために、キーボード操作については、まだ十分理解されていない基礎的な問題がかな り残されている。したがって、人間性にとってより自然で、使うのにより楽なキーボ ードについての研究は、今度の裁判の結果などに関係なく、これからも強力に推進さ れなくてはならない性質のものと考えられる。 最後に、繰り返しになるが、ミネソタ州におけるキーボード裁判に関する本稿の記 録は伝聞によるものであり、細部においては不正確である恐れをなしとしない。した がって、本稿を読まれるにあたっては、その目的とした技術的検討の意義のほうを中 心としてお読み取りいただければ幸いである。 .